強烈なトップダウン経営は大学に通用するのか? ニデック永守氏「第2の人生」に潜む強権的マネジメントの罠

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京都の経済社会は、老舗企業に象徴される世襲的経営や家柄の重視、長期的な存続を尊ぶ文化によって特徴づけられることが多い。しかし、稲盛氏は鹿児島出身、永守氏も京都市の旧来の商家文化とは距離のある向日市出身であり、いずれも伝統的な京都財界の「中」から登場した経営者ではない。むしろ両者は、そうした文化とは対照的に、個人の才覚と努力によって成り上がった創業者で、世襲経営を否定する姿勢でも知られていた。

インタビューや記者会見でどのような質問をしても、ユーモアを交えてマスコミ受けする言葉で当意即妙に答える永守氏に好感を持つメディア関係者は多かった。かつて、ビジネス誌の編集部にいた筆者もその1人だった。

加えて、永守氏を京セラ創業者の稲盛和夫氏と並ぶ名経営者として高く評価する研究者も現れ、その著書が話題を呼んだ。この永守ブームに乗ろうと、複数の出版社が永守氏の「書き下ろし自著」をプロデュースした。

こうした礼賛報道や礼賛本が永守氏の自己肯定感をさらに高め、周囲の忖度(そんたく)を助長した可能性がある。志や理念を強く掲げる経営は組織を鼓舞する力を持つ反面、トップの理念が絶対視されるほど内部からの異論が出にくくなる危険性は指摘され続けてきた。

理念とガバナンスのバランスをどう保つかは、日本企業に限らず、カリスマ型創業者が率いる企業に共通する古典的な課題である。永守氏を高く評価する姿勢が批判的検証の目を曇らせ、調査報道的探索を怠っていなかったか。

3人の経営者に共通する出発点

もう1つ興味深いのは、稲盛氏、永守氏、中内氏、3人の出発点である。

稲盛氏は中学受験に2度失敗し、結核で生死の境をさまよったうえ、空襲で実家と父の印刷工場を失った。戦後の就職難の中、教授の紹介でようやくたどり着いた京都の小さな碍子メーカーは赤字続きで労働争議が頻発し、給料も遅配するような環境だったが、稲盛氏は研究に没頭し、特殊磁器の開発に成功する。

上司との対立で退社を余儀なくされるも、支援者を得て1959年に京都セラミック(現・京セラ)を創業。戦後の混乱と度重なる挫折を糧に、独自の経営哲学を築き上げた。

農家の6人兄弟の末っ子として生まれた永守氏は、中学1年生のときに父を亡くした。母が1人で家族を支える姿を見て育ち、「他人の2倍働いて成功しないことはない」という母の教えを生涯の信条とした。

職業訓練大学校を首席で卒業後、73年に28歳でわずか3人の小所帯から日本電産(現ニデック)を創業。78年には早くも倒産の危機に陥ったが、これを乗り越えて世界最大級のモーターメーカーへと育て上げた。

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