褒めたつもりが…「超ヤな感じ」と嫌われた、社内メールの《ある一文》 悪気がないのに勘違いされる人が書いていること

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ゲームばかりで活字に触れてこなかった、という人もいるでしょう。ファミコン世代の私も、その一人です。しかし、ゲームにもセリフや説明といった文字情報が意外にも多く詰まっているものです。

一方で、書く方はどうでしょうか。自分の過去を振り返っても、学校で課題として出される読書感想文やレポート、大学の卒業論文、そして就職活動のエントリーシートや作文。せいぜい、その程度です。

新聞社に入り、記者として毎日のように原稿を書くようになったとはいえ、それでも一日に書く文章の量は、読む文章のそれに比べれば圧倒的に少ない。

「読み手の自分」の力を借りる

つまり、人それぞれに「書き手の自分」と「読み手の自分」がいて、「読み手」の方がはるかに経験豊富でうわてなのです。だったら、文章を書くときに「読み手の自分」の力を借りない手はありません。

大切なのは、「読み手の自分」にどれだけ厳しい目を持たせられるか。書き終えた後、これから読んでもらう人たちの代表になったつもりで、冷静に文章をチェックできるかどうかです。

チェックが甘ければ、「まあ、このくらいで伝わるだろう」と「書き手の自分」を甘やかしてしまう。しかし、厳しい目を持っていれば、「このカタカナ語は意味不明」「内容が重複しているから、どちらかを削ろう」と立ち止まり、「書き手」と「読み手」の対話が始まります。

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厳しい「読み手」を持つということは、「自分は分かるけど、他の人はどうだろう」と、他人の視点を想像することでもあります。

例えば、自分の職場では当たり前の略語をそのまま使っていないか。「エビデンスを取る」「アジェンダを共有する」といったカタカナ語を、当然のように使っていないか。あるいは、途中の説明を省いて話を先に進め、読者を置き去りにしていないか。

このように、読んでくれる人のことを想像してみることです。

そう考えてみると、文章を書くということは、読み手を思いやることなのだと思います。文章を美しく整えることも、よりキャッチーにすることも、すべては多くの人に文章を届け、伝えたいことをきちんと伝えるための手段であって、決して目的ではありません。

その原点さえ忘れなければ、「嫌われる文章」を書くことは避けられるのではないでしょうか。

諸星 晃一 DESK 代表取締役

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もろほし こういち / Kouichi Morohoshi

1976年、神奈川県生まれ。2000年、一橋大学社会学部を卒業後、朝日新聞社に入社。山形支局、旭川支局、大阪社会部、北海道報道センターなどをへて2023年、退社。同年、DESK合同会社を設立し代表社員になる

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