日本が直面する「遅れてきた多宗教社会」の実態 善意だけでは解決できない、移民との摩擦の深層

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ここではイスラーム勢力のみならずイスラエル側に、宗教過激派や過激民族主義派の政治的力の拡大が見られます。イスラエルでその状況を厭う人びとはアメリカやヨーロッパに逃れて距離を置いてしまう。すると、イスラエルにより過激な勢力が集まり、それがガザ紛争を巡る内政の意思決定に影響を与える。まだら状に過激主義が結集する現象が、イスラーム教に限らず各宗教集団で、世界の各地で起きているわけです。

このような世界の流れから、長くもっともかけ離れたままであった国が日本ではないでしょうか。それにより、宗教を巡る動きとそれに伴う問題に対する意識が希薄です。

対テロ戦争の時代でも、日本を舞台に目立った宗教テロが行なわれることはなく、日米関係の延長線上で中東に関与するくらいでした。それだけ日本が平和であったことの裏返しでもありますが、これからは同じようにはいかないことを覚悟すべきです。

日本の移民社会化で起きる摩擦

2020年代に入り、日本も少子高齢化や人手不足などの問題から生じた経済・社会インフラ維持の必要性から移民社会化の道を遅ればせながら辿り始めています。すなわち、欧米諸国の社会が近代化や産業化の過程で経験した多宗教化に、初めて本格的に直面することを意味している。その過程では、負の側面にも向き合わなければいけません。

たとえば、宗教を紐帯とするコミュニティが移民先でも持続され、社会の規範などに積極的に同質化する気がないとき、日本では何が起きるのか。日本的な認識からすれば、宗教とは個々人が自分の志向のもとで選べるものであり、どのコミュニティに所属するかも選択的ですが、イスラーム教では生まれつき神と契約している感覚です。

日本では宗教を選び信じることは「権利」ですが、彼らにとっては特定の契約を履行するという意味で「義務」なのです。多かれ少なかれ、日本人と宗教的義務を実践する移民のあいだには摩擦が起きるでしょうし、日本はこれから「遅れてきた多宗教社会」として真価が問われることになるのです。

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