「容貌は婦人のようだった」大河ドラマ「豊臣兄弟!」で異彩を放つ"竹中半兵衛"敵に回すと怖いワケ

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永禄3(1560)年に父が死去すると、半兵衛は17歳で家督を相続。菩提山城主となった。「長良川の戦い」で父・道三に勝利した斎藤義龍に仕えるが、まもなくして義龍が35歳の若さで死去。半兵衛は義龍の嫡男・斎藤龍興に仕えることとなる。

『常山紀談』(お茶の水女子大学図書館所蔵) 出典: 国書データベース
『常山紀談』(お茶の水女子大学図書館所蔵)出典:国書データベース

「打見たる處は婦人のごとし」

江戸中期の明和7(1770)年に成立した『常山紀談(じょうざんきだん)』にそう書かれているように、策略に長けていたが(「謀略有る人なれども」)、容貌は婦人のようだったという。

2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、竹中半兵衛演じる菅田将暉の仕草がどこか女性的だったのは、そんな記述を受けてのことだろう。

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『常山紀談』では、半兵衛の容貌について描写したのち、こんなふうに続く。

「軍に臨む時も猛威たる事なし。馬の皮にて包める甲を着、木綿の羽織、一の谷と名付けたる兜の緒をしめ静り返りて居りけり」

戦に臨むときでも猛々しい様子をみせることはなかった、半兵衛。馬の皮で包んだ鎧を着て、木綿の羽織をまとうと「一ノ谷」と名付けた兜の緒を締めて、静かに佇むのが常だったようだ。

戦いへの緊張が高まるが、「重治向かふ度ごとに、士卒戦ずして既に勝ちたりと勇みあへり」(『常山紀談』)とあるように、半兵衛が現れただけで、兵たちは「勝ったも同然だ」と盛り上がったというから、大変な信頼感である。

もっとも『常山紀談』は軍記物語なので、どこまで実際にあったかどうかはわからない。それでも周囲にどんなイメージを持たれた人物だったのか、その一端を知ることはできるだろう。

『常山紀談』では、先の逸話の後に、やや唐突にこんな小話が紹介されている。

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