竹中半兵衛の銅像(写真:白やぎ / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、いったいどんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第11回では、軍師の竹中半兵衛について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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見かけは「婦人のごとし」だった
2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では、豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛にスポットライトがあてられたが、もう一人、秀吉に仕えた軍師として知られているのが、竹中重治、通称「竹中半兵衛」である。
半兵衛は天文13(1544)年、美濃斎藤氏の家臣で大御堂城主・竹中重元の子として生まれた。
父・重元は斎藤道三に従っていたが、弘治2(1556)年4月に「長良川の戦い」で、道三は息子の義龍に討ち取られてしまう。
この長良川の戦いこそが、13歳の半兵衛にとって初陣となった。半兵衛は不在の父に代わって大将を務めて、籠城戦の末に義龍の軍を退けた、といわれている。
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