東急「異彩作家のアートな電車」はなぜ生まれたか 沿線風景描いた作品をラッピング、起用の狙い
両者でラッピング電車を走らせることとなり、東横線、田園都市線で展開するという方針も決まった。当初は、ヘラルボニーが管理する既存のアートデータを使ってラッピング電車に仕立てる案もあった。しかし、「単に車両をアートでまとうのではなく、私たちの理念を沿線や社会にお届けしたい」(稲葉部長)という理由から、東急電鉄は沿線をテーマにしたアートを作家に描き起こしてもらうことにこだわった。
ヘラルボニーが提案した契約作家の中から、東急電鉄のプロジェクトメンバーがその人柄や作風に惚れ込み、最も合致すると判断したのが中島氏だった。
桑山さんには稲葉部長の忘れられない一言がある。中島氏を「クリエーティブパートナーとして選んだ」と発言したことだ。障害のある作家に活躍の機会を与えているという態度を取る企業もある中で、東急電鉄は作家と対等に向き合うと宣言した。「稲葉さんの発言には痺れました。東急電鉄さんとご一緒してよかったと思いました」。
沿線で撮った写真を基に制作
中島氏も東急電鉄の提案を「うれしかった」と快諾。4月下旬に東急線沿線を訪れ、主要駅周辺を歩き回り、気に入った景色を次々とカメラに収めた。写真を基にアートを制作するのが中島氏のスタイルだ。お気に入りはSHIBUYA109の周辺。街を歩く人たちのファッショナブルな様子に魅了され、「私も東京に住みたいと思った」と当時を振り返った。
仙台に戻った中島氏は制作に専念し、5月中旬に稲葉部長の元にアート作品が送られてきた。商業アートであれば企業が作家にさまざまな要望を伝え、企業の意向に沿ったアートが仕上がる。しかし、今回は商業アートではない。「私たちの思いをきちんと伝えたうえで、中島さんの感性やご意向を尊重したい」。東急電鉄から歴史などの文字情報や写真などの追加資料を中島氏に送って、中島氏と擦り合わせを行った。こうした作業が何度か繰り返され、8月に14枚の作品が完成を見た。




















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