漢の武帝に愛された皇后は「100人から選ばれた幼女」と「歌手から大出世したシンデレラガール」だった…不妊治療に90億円、本気すぎる妊活も

武帝と陳皇后の知られざるなれそめ〜金屋蔵嬌〜
中国の本格的な後宮の「歴史」は武帝の時代に始まる。規模の大きさ、個性的な女性の多さ、贅沢ぶり、はちゃめちゃぶり、どれを取っても、漢の皇帝・武帝の後宮は日本人がイメージする中国の後宮である。
上流階級の誇り高き令嬢と、庶民出身の美女と、どちらが良い皇后になりうるか、という不毛な「実験」を行ったのも武帝が最初である。
16歳の若さで皇帝となり、70歳で崩御するまで全盛期の漢帝国に君臨した武帝の後宮を紹介するには、本まるごと1冊を費やしても足りない。ここでは後宮の后妃、陳皇后(正式には孝武陳皇后)と衛皇后について紹介する。
武帝の最初の皇后となった陳氏は、いとこであり、幼なじみだった。「いとこ婚」は日本では今も昔も合法である。だが、中国では、時代によっては「いとこ婚」は法的に禁じられた。現代の中国でも禁止である。けれども、過去には、いとこ婚が合法だった時代も長かった。
例えば、宋代の実話をふまえた古典小説『嬌紅記』の主人公の男女はいとこどうしという設定で、いとこ婚は公的には非合法だが実社会では広く行われ、官憲もお目こぼしをしていた、という微妙な時代設定になっている。
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