大阪・関西万博「アクセスの悪さ」は本当か? バスで行く万博「1970年 大阪万博」当時を回顧しながら実証+オススメ紹介

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また、私鉄系バス会社の運行もあり、静岡鉄道の関連会社である「しずてつジャストライン」は、清水・静岡から、「福井鉄道バス」と「京福バス」は、福井・武生(越前市)から直行バスを運行している。ただし、福井便は夜行ではなく昼行便だ。

これらのバス群のほとんどは、従前から運行していた大阪行き、あるいはUSJ行きのバスを延長する形で路線を延ばしている。

1970年「大阪万博」当時の高速バス状況

さて、今から55年前に開催された最初の大阪万博。筆者はまだ小学生だったが、家族で会場を訪れている。

授業を休んで平日に行ったこと以外は記憶も薄れているが、当時住んでいた愛知県から名古屋発の高速バスで往復した記憶は鮮明だ。

当時の時刻表(交通公社の時刻表 1970年6月号)が手元にあるので、現在の状況と比較してみたい。

55年前、大阪万博開催中の「交通公社の時刻表(1970年6月号)」(筆者撮影)
55年前、大阪万博開催中の「交通公社の時刻表(1970年6月号)」(筆者撮影)

まず、1970年時点で開通していた高速道路は、1965年に全通した名神高速道路、1969年、つまり万博の前年に全通した東名高速道路のほかは、中央道の「調布IC~河口湖IC」間くらいしかなかった。

まさに日本の高速道路の黎明期である。

一方、鉄道は東海道新幹線の開業から6年、「ひかり」と「こだま」が1時間に3本ずつ走っている程度であった。

1970年万博の会場は大阪府吹田市の千里丘陵で、すぐ近くを名神高速道路が走り、鉄道は阪急電鉄千里線「万国博西口駅」、地下鉄御堂筋線から直通する北大阪急行「万国博中央口駅」の2駅が臨時駅として開設され、会場に乗り入れていた。

そのほか、当時の国鉄茨木駅を「万博東口駅」と名付け、駅前からピストンバスを運行。会場の東ゲートまで観客を輸送した。

このバスの所要時間は、わずか5分である。夢洲と比べて格段に交通の便が良かったことがわかる。

1970年大阪万博のシンボルだった太陽の塔は、今も吹田市に建つ(筆者撮影)
1970年大阪万博のシンボルだった太陽の塔は、今も吹田市に建つ(筆者撮影)

当時の高速バス事情はというと、東名に「国鉄ハイウェイバス」と「東名急行バス」、名神に国鉄、「日急(日本急行バス)」「日高(日本高速バス)」が、すでに多くの便を運行しており、「名古屋~大阪・神戸間」のバスが万博会場を経由していた。

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