「余ったパンを捨てるのをやめた」超人気パン屋ドリアン・店主の人生をガラリと変えた"モンゴルの友人からの素朴なひとこと"
週休1日で祝祭日も休みはなし。そのかわりに、夏は1カ月から1カ月半の休みをとります。
以前の働き方はどうだったかというと、猛烈に働いていました。
早いときは22時から仕込みはじめて、仕事が終わるのが17時。食事をして風呂に入って少し寝たら、またすぐに起きる時間になってしまいます。
パンの種類が多ければ、その分仕込む生地の種類も多くなって、時間もかかります。中に具が入るパンはまた別に混ぜたり、包んだりしなければなりません。いろんな重さの生地を計ったり丸めたり、形を整えたりも大変です。
3窯、4窯も焼いていました。そうすると、窯を燃やして温めるのも一苦労です。その頃は冷蔵庫を使わず、その日に仕込んだ生地を焼いていたのでドタバタです。
「パンはもう膨らんでるぞ〜。窯を早く温めろ〜‼」
とか、逆に窯は温まったのに「パン生地が膨らまない~」ということも。とにかく毎日が消耗戦でした。
そんな感じだから、スタッフに仕事を教えてあげる暇もありません。見学に人が来てもまともにかまっていられません。とにかくいろんな余裕がないのです。
休業して、フランスに行って半年ぐらい経ったときに、たまっていた疲れも癒えて気づいたのです。
「あの頃の自分は、自分でなかった。性格も変わっていた」
余裕のない渦中にいるときは気づかないものです。
僕は、ほかのパン屋のことはよくわからないけれど、みんなこんな感じだと思います。一生懸命すぎるほど懸命に働いているのです。
祖父の代から続くパン屋
僕の家は祖父の代からのパン屋。僕で3代目になります。
もともとは戦前からやっていた甘納豆屋でした。当時はあくまでもパンは片手間で、甘納豆がメインでした。当時は広島で一番の砂糖使用量を誇っていたそうです。
それでもその時代は、食パンをガンガン焼いて、2トントラックの荷台に山積みして、市場に持って行っていた、なんとも、男前な時代でした。
その頃は、ガス窯はありませんから、みんなでレンガの窯をつくり、石炭を燃やしてパンを焼いていました。
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