週刊東洋経済 最新号を読む(5/23号)
東洋経済オンラインとは
キャリア・教育 #捨てないパン屋

「余ったパンを捨てるのをやめた」超人気パン屋ドリアン・店主の人生をガラリと変えた"モンゴルの友人からの素朴なひとこと"

9分で読める
  • 田村 陽至 ブーランジェリー・ドリアン店主
2/5 PAGES
3/5 PAGES
4/5 PAGES

週休1日で祝祭日も休みはなし。そのかわりに、夏は1カ月から1カ月半の休みをとります。

以前の働き方はどうだったかというと、猛烈に働いていました。

早いときは22時から仕込みはじめて、仕事が終わるのが17時。食事をして風呂に入って少し寝たら、またすぐに起きる時間になってしまいます。

パンの種類が多ければ、その分仕込む生地の種類も多くなって、時間もかかります。中に具が入るパンはまた別に混ぜたり、包んだりしなければなりません。いろんな重さの生地を計ったり丸めたり、形を整えたりも大変です。

3窯、4窯も焼いていました。そうすると、窯を燃やして温めるのも一苦労です。その頃は冷蔵庫を使わず、その日に仕込んだ生地を焼いていたのでドタバタです。

「パンはもう膨らんでるぞ〜。窯を早く温めろ〜‼」

とか、逆に窯は温まったのに「パン生地が膨らまない~」ということも。とにかく毎日が消耗戦でした。

そんな感じだから、スタッフに仕事を教えてあげる暇もありません。見学に人が来てもまともにかまっていられません。とにかくいろんな余裕がないのです。

休業して、フランスに行って半年ぐらい経ったときに、たまっていた疲れも癒えて気づいたのです。

「あの頃の自分は、自分でなかった。性格も変わっていた」

余裕のない渦中にいるときは気づかないものです。

僕は、ほかのパン屋のことはよくわからないけれど、みんなこんな感じだと思います。一生懸命すぎるほど懸命に働いているのです。

祖父の代から続くパン屋

僕の家は祖父の代からのパン屋。僕で3代目になります。

もともとは戦前からやっていた甘納豆屋でした。当時はあくまでもパンは片手間で、甘納豆がメインでした。当時は広島で一番の砂糖使用量を誇っていたそうです。

それでもその時代は、食パンをガンガン焼いて、2トントラックの荷台に山積みして、市場に持って行っていた、なんとも、男前な時代でした。

その頃は、ガス窯はありませんから、みんなでレンガの窯をつくり、石炭を燃やしてパンを焼いていました。

次ページが続きます

5/5 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

キャリア・教育

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象