「バター不足」がベルリンの壁建設の理由だった 国民不満を封じ込めても守りたかった社会主義のメンツ
これは、反政府活動を続けていた自主管理労組「連帯」問題でソ連が介入放棄した背景でもある。軍事介入をすればポーランドの党と政府、軍隊、労組、教会は一致団結してソ連軍と戦う。それは明らかであった。
第3は、代替品であるマーガリン配給の見込みが絶たれたことである。これは東ドイツの食糧政策、ひいては社会政策へのトドメであり、東ドイツ当局に壁建設を決心させる契機となった。
マーガリンは東ドイツに残された希望であった。バターの国内自給や東欧ブロックからの供給は望めず、国際価格で購入する余裕もないからである。
中国が救世主となったが
具体的には中国産油脂によるマーガリン製造である。食用油脂も東ドイツや東欧では不足していたが、中国には相当の輸出余力があった。
中国にとってもメリットであった。復興や発展に必須の生産設備をバーター取引で入手できたからである。当時の中国は外貨不足であり、しかもアメリカによる経済規制を受けていた。
細部は2020年に『史林』に掲載された記事が詳しい。葛君は「従合作至闘争:1954年-1964年中国与民主徳国的貿易関係」で両国の思惑と貿易の推移について論じている。
両国の貿易は1954年から本格化するが、おおむね油脂と設備の交換である。中国は大豆、落花生、ひまわり種子以下の食用油脂原料を輸出し、東ドイツから小型工作機械、化学プラント、加えて光学機械、化学肥料、写真用フィルムを輸入する形である。
ただ、このマーガリン製造も問題を解決しなかった。規定量を配給できればバター不足の不満はある程度は解消できただろう。ただ、肝心の原材料輸入が滞った結果、マーガリンの生産も困難となったのだ。
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