「バター不足」がベルリンの壁建設の理由だった 国民不満を封じ込めても守りたかった社会主義のメンツ

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この無料配布は以降も続いた。翌1954年1月20日にはバターに加えて、1500トンの粉ミルクも西ベルリンに運び込んでいる。乳児用ミルクも不足していたということだ。

まったくの東ドイツ体制への打撃である。西側がバターを配れば、東ドイツの権威は失墜する。さらには「衛星国に食糧の供給もできない」と盟主国のソ連の威厳も揺らぐのである。

新聞もそのように説明している。7月9日の『ワシントン・ポスト』では、政府筋情報で有名なドリュー・ピアソンが東ベルリン市民への提供を提唱している。

アメリカ製バターを取り締まっても…

その趣旨は、冷戦における余剰バターの活用である。

具体的には、アメリカ政府は毎週5400トンの余剰バターを買い上げており、在庫は第2四半期には45万トンに及んでいる。これをベルリンで配るべきである。東西ベルリンは鉄のカーテンに開いた穴であり、東側住民は大挙して受け取りに来る。そうすれば東ドイツの面目も潰せるうえ、バターの余剰問題も解決する――。

そして、目論見通り東ドイツに打撃を与えた。東ドイツ政府はアメリカ製バターの取り締まりを始めたのである。東西境界線で主婦の買い物かごを改め、「隣人が違法バターを持っている」との密告を奨励した。アメリカ製バターの流通は、東ドイツ失政の象徴となったのだ。

これはアメリカのトランプ大統領が閉鎖を決めたUSAID(アメリカ国際開発庁)につながる発想である。かつての実態は余剰農産物により武器を使うことなく敵陣営を揺るがし、第三世界諸国の東側接近を阻止する役割を負った政府機関であった。

なお、後にアメリカは宗教による東欧の切り崩しにも成功している。1978年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の登極と行幸により、出身国ポーランドはワルシャワ条約機構から事実上、脱落した。ポーランドの統一労働者党、人民軍さらには秘密警察に至るまで骨抜きになった。

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