「バター不足」がベルリンの壁建設の理由だった 国民不満を封じ込めても守りたかった社会主義のメンツ
第2は、アメリカがバターによる体制攻撃を仕掛けてきたことである。東ドイツはアメリカのバター攻撃から体制を守る必要があった。これもまた壁建設に至る一背景である。
アメリカはどうやってバターで東ドイツを攻撃したのだろうか。国内余剰品を西ベルリンに運び込み、配っただけである。
援助という名のアメリカの体制攻撃
まずは、前段階として援助を持ち出した。アメリカは食糧暴動から1カ月後に1500万ドル相当の食糧援助を提案した。これは東ドイツ政府のメンツを潰すための申し出である。そのため東ドイツも「国民離反を狙っている」と非難したうえで拒絶した。
その後アメリカは、1953年10月24日から西ベルリンで困窮者への無料配布を始めた。政府備蓄のバター1000トンを用意し、それを民間団体による慈善事業の体裁で戦争遺族や障害者に配った。なお、包装には「アメリカ国民からのプレゼント」と印刷している。
この計画の肝は、対象を西ベルリン住民に限定しなかったことである。
狙いは東地区の住民に据えていた。壁建設以前であり東西は自由往来ができる状態にあった。そこを通じて、アメリカ製バターにアクセスできる状況を作り出す計画である。
11月24日からは、第2弾として老人への無料配布も実施した。60歳以上のベルリン市民を対象にバターをプレゼントする旨を発表したところ、初日だけで東ベルリンから1万8000人前後の年金生活者が殺到した。東ドイツ当局の妨害や警告を無視してバターを受け取ったのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら