『魔窟』を読むと、田中の強みは名誉欲がないことに思える。たしかに日本一の大学の理事長やJOCの副会長などの座に就きはしたが、名誉職を求めることはなかった。一方で大学の表の顔として担いだ総長には思う存分に、名誉を漁らせた。クリントンやゴルバチョフの元米ソ国家元首を呼ぶなどやりたい放題をさせたのだ。それを見逃すことで田中も好き放題をした。
田中には徹底して裏の権力者で居続けるための胆力があった。大相撲の世界に入っていれば……などといった「たられば」を抱えたままでいれば、横綱の代用となるような名誉を求めたに違いない。未練を断ち切った者だけが、怪物になれるのだ。
謎の肩書「自動販売機アドバイザー」
古田体制に「裏口入学の帝王」がいたように、田中支配の日大にも小悪党たちがいた。その温床となったのが株式会社日大事業部だ。保険代理店など手広く商売をする事業会社である。
田中の肝煎りで設立されたこの会社は、自販機ビジネスに始まる。そのとき活躍したのが井ノ口忠男(2021年に背任で逮捕)であった。日大アメフト部のOBでもある彼は、日大の理事にまでなるが、もともとは「自動販売機アドバイザー」であった。
「自動販売機アドバイザー」とはなんとも奇妙な肩書だが、日大では学内の自販機売り上げが月に数億円になる。井ノ口のおかげで自販機ビジネスは成功し、それを糸口に事業を拡大していき、2021年には291億円にまで年商は膨らんだ。その裏では、〈田中の威を借りた理事の井ノ口らが大学の出入り業者を操ってきたのは疑いない〉と森は断じる。
かくのごとく巨大利権と化してしまった日大は、田中らの逮捕を機に組織を正常化させるために林真理子を理事長とする新体制となった。けれども、林体制の監事が「ちゃんこ料理たなか」に20回通っていたことが判明するなど、負の遺産を抱えたままとなっている。
『魔窟』と同じく東洋経済新報社が刊行した『巨大システム 失敗の本質』(2018年)は、不正が組織を壊滅させるメカニズムとして、複雑性のなかで不正が生まれ、同質性によってそれが組織内に蔓延し、隠蔽されることをさまざまな事例から論じている。
日大もまさにそれだ。巨大であるがゆえに複雑で、また運動部の活躍によって大きくなっていった大学は運動部関係者によって支配され、そして喰い物にされていった。その実相を描いた『魔窟』に、読者はピカレスクもの(悪党の出世物語)として惹きつけられるのと同時に、普遍的な組織の腐敗と混迷の歴史をここに見ることになるだろう。
(敬称略)
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