石破政権発足2カ月、危機打開のカギは"原点回帰" 「謙虚な姿勢」で国民民主取り込みに腐心
この石橋氏は戦前のリベラル派言論人の代表格で、戦後に首相に就任したが、病に倒れ、在任わずか65日で辞任した。官邸関係者の間では、所信表明で「超短命」だった石橋氏に言及することへの慎重意見も多かったが、石破首相が押し切ったとされる。官邸筋は石橋演説が行われた1957年2月4日は石破首相の誕生日だったことを挙げ「首相の思い入れは強かった」と解説した。
「一方通行」「終始メモ読み」で論戦盛り上がらず
そうした中、石破首相の所信表明に対しては、自民席からの拍手だけでなく野党席からの野次も少なく、議場内の熱気の乏しさが目立った。ただ、国民民主が求める「年収103万円の壁」の引き上げを石破首相が明言した時は、国民民主の一部議員から拍手が起こり、「玉木雄一郎代表も大きくうなずく姿が印象的」(政治ジャーナリスト)だった。
所信表明を受けて12月2日から4日まで衆参両院本会議で実施された各党代表質問は、「これまで通り一方通行のやりとりだったことに加え、ひたすら答弁メモを読み続ける石破首相の対応で、所信表明と同様に論争は盛り上がりを欠いた」(同)のは否定できない。
その中で石破首相は、野党側が問題視する使途公開が不要な政策活動費を巡り、「使い方は抑制的でなければならないと考えていた。先の衆院選で選挙運動のために支出していない」として衆院選での使用を否定。その一方で、来夏の参院選で裏金問題に関与した候補者の党公認・非公認の判断については、衆院選同様の基準で検討する考えを示すことで、政治と金の問題に厳しく対処する姿勢をアピールした。
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