Z世代は「怒られない職場」に何を思っているのか 当事者不在が生み出すディスコミュニケーション

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舟津:なるほど。怒られることが、自身への人格評価と直結しているように感じてしまうということですね。仮に今、「まだ席を離れたらダメだよ」って言われたとして、「じゃあ、席を立つタイミングがあるんだな」と思うだけでいいところを、「あなたは常識がない人間です」とか、「あなたは未熟です」と言われたように感じてしまう。

ただ、おそらく老若男女、少なからず同じように感じると思うんですよ。特に私の本のコンセプトは「Z世代化する社会」なので、みなさんがそう思っているものが、少し時間を置いて世の中もそうなっていく。だけど、原田さんがおっしゃったように、SNSをはじめとする新しいものへの適応が早いからこそ、いち早くそうした傾向が顕在化、先鋭化しているのだと思います。

原田:そうですね。イメージとしては、私たちより上の世代は、怒られたとしても、立ち直りが早いように思います。「なんでできないんだ!」って言われても、「ごめんなさい」って普通に立ち直れている。でも、私はかなりダメージを受けて、くよくよしてしまうんですよね。それがわれわれ世代の一般的な傾向かはわかりませんが。

SNSは個人をむき出しにしている

中村:でも、原田さんのおっしゃっていることはよくわかります。上の世代との違いがなんで生まれるのかは気になりますが、SNSという指摘は面白いですよね。

人って何かのコミュニティに属していると、やっぱり「どこどこの私」っていう感覚を持つと思うんですけど、SNSっていろんな人とつながることもあって、「どこどこの私」というのがだんだん曖昧になっていく性質があると思っています。

解像度の低い昭和世代のイメージですが、「どこどこ中学の○○集団の私」であるならば、誰かに怒られたとしても、「その集団の中の1人だし」って思うことができたのかなと。ただ、SNSの台頭によって、どんどん自分の存在がむき出しになっているのかもしれないなって今思いました。

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