虎に翼モデル「三淵嘉子」弁護士でも開店休業の訳 戦争の足音聞こえる中で、教師の仕事が軸に
また、この頃、嘉子はプライベートでも大きな変化があった。
両親は26歳になった嘉子のもとに、何度も見合いを持ちかけるが、娘はどうも乗り気ではない。事情を聞いてみれば、意中の男性がいるという。
その相手とは、一時期、書生として家に出入りしていた和田芳夫だという。芳夫は嘉子の父にとっては中学時代の親友の甥にあたる。働きながら明治大学の夜間部に通い、卒業後は紡績会社に就職していた。
芳夫は出入りしていた書生のなかでも、おとなしい男性だったために、両親は驚いたという。嘉子はその活発さから学生時代に「ムッシュ」というあだ名で呼ばれていたくらいだから(記事:「虎に翼」モデル"三淵嘉子"大胆すぎるスキー事件参照)、2人は大分違ったタイプだったようだ。
やがて嘉子は芳夫と交際をスタートさせて、昭和16(1941)年11月に結婚。昭和18(1943)年1月には、長男の芳武が生まれている。
芳夫は妻が働くのを阻むような夫ではなかったが、戦争の影が徐々に色濃くなるなか、プライベートでの変化もあり、弁護士活動は限定的だったようだ。嘉子はこう振り返っている。
「たまたま私自身の結婚や育児の時期に重なったこともあり、弁護士業は開店休業の状況になってしまった」
二度も届いた夫への召集令状
だが、昭和19(1944)年に入ると、さらに大きな変化に見舞われることになる。夫の芳夫のもとに召集令状が届いだのだ。
芳夫には結核による肋膜炎の跡があったため、すぐに召集解除になるが、1年後に再び赤紙が届く。そして今度は、戦地へと向かうことになったのである。
(つづく)
【参考文献】
三淵嘉子「私の歩んだ裁判官の道─女性法曹の先達として─」『女性法律家─拡大する新時代の活動分野─』(有斐閣)
三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』(三淵嘉子さん追想文集刊行会)
清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)
神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
佐賀千惠美 『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)
青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』 (角川文庫)
真山知幸、親野智可等 『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)
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