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江戸時代の「人気職業」はいくら稼いでいたのか 「千両役者」は寛政の改革を機に姿を消した

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日本橋から吉原大門までの駕籠代は約3万7500円だったという(写真:KIMASA/PIXTA)
「火事と喧嘩は江戸の華」「一年を二十日で暮らすいい男」など、江戸の風俗の中から生まれた言葉は現代まで数多く残っていますが、江戸の庶民のリアルな暮らしぶりとはいったいどんなものだったのでしょうか。
大工に駕籠かきから髪結い、棒手振りまで、時代劇などでお馴染みの職業がどれだけの収入を得ていたのかを現代の感覚で換算してみると、これまでの印象がガラッと変わるかもしれません。
※本稿は、磯田氏の監修書『新版 江戸の家計簿』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

江戸時代の花形職業だった「大工、左官、鳶」

徳川家康が幕府を開いた当時、江戸は寒村だった。町づくりのために三河や駿河などから呼び寄せられたのが、大工をはじめとする職人たちである。また、武士たちの生活必需品を作る職人も、関八州などから集められた。

職人たちは職ごとにまとまって住み、職人町が形成された。古地図などでは、大工町、鍛冶町、木挽町などといった町名が見える。

職人には大きく分けると道具を持ってよそに出かけて仕事をする出職と、家のなかで物を作る居職がある。なかでも出職の大工、左官、鳶は「江戸の三職」と呼ばれる花形職業だった。

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【大工の年収は、現代の感覚で約800万円】

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