江戸時代の花形職業だった「大工、左官、鳶」
徳川家康が幕府を開いた当時、江戸は寒村だった。町づくりのために三河や駿河などから呼び寄せられたのが、大工をはじめとする職人たちである。また、武士たちの生活必需品を作る職人も、関八州などから集められた。
職人たちは職ごとにまとまって住み、職人町が形成された。古地図などでは、大工町、鍛冶町、木挽町などといった町名が見える。
職人には大きく分けると道具を持ってよそに出かけて仕事をする出職と、家のなかで物を作る居職がある。なかでも出職の大工、左官、鳶は「江戸の三職」と呼ばれる花形職業だった。
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【大工の年収は、現代の感覚で約800万円】
