「虎に翼」モデル"三淵嘉子"大胆すぎるスキー事件 アクティブな嘉子のあだ名は「ムッシュ」だった
嘉子は大学でも、充実した学生生活を送ったようだ。女子部からの仲良しグループと大学の混声合唱部に入り、休日となれば熱心に活動した。
首席で大学を卒業して司法科の試験に臨む
その一方で、学業は成績トップをキープし続けて、1938(昭和13)年3月、首席として卒業することとなる。
あとは、11月に行われる高等文官試験司法科の試験を突破するのみ。女性合格第1号を目指して、嘉子はオリジナルの勉強スタイルで、試験に挑むこととなる。
(つづく)
【参考文献】
三淵嘉子「私の歩んだ裁判官の道─女性法曹の先達として─」『女性法律家─拡大する新時代の活動分野─』(有斐閣)
三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』(三淵嘉子さん追想文集刊行会)
清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)
神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
佐賀千惠美 『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)
青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』 (角川文庫)
真山知幸、親野智可等 『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら