しかし昔はそうではなかった。観客動員は今も昔も「主催球団発表」ではあるが、かつては、実数ではなく、球団が恣意的な数字を発表していた。昭和、平成初期のプロ野球を知っているオールドファンは、東京ドームの巨人戦が連日「5万6000人」の発表になっていたのを覚えているのではないか?
しかし同じ東京ドームで行われる日本シリーズでは、観客動員は「実数発表」になるので「4万6153人」などペナントレースよりもはるかに少ない数字になっていた。日本シリーズのチケットはほぼ売り切れるから、空席などあるはずもない。当時の巨人は1万人近くも「さばを読んでいた」わけだ。
不人気だったパ・リーグの球団でも…
それは巨人だけでなく全球団で同様で、不人気だったパ・リーグなどは「あまり少ないのはみっともない」と考えたのか、最低でも1000人と発表している球団もあった。
球団発表では端数は発表しないことが多いので、観客動員の数字の末尾2桁くらいまでは「0=丸い数字」になっていたものだ。
大阪球場や日生球場などで行われた当時のパ・リーグの試合をよく見にいったが、それこそ「1人、2人、3人」と数えられるほどしか観客が入っていない日も多かった。「明日の新聞発表は、また1000人やな」と仲間と話したのを覚えている。
1954年から3年だけパ・リーグに存在した高橋ユニオンズは、新興だけに極めて不人気だったが、オーナーの孫から「当時の売り上げ伝票を調べていたら『有料入場者数29人』という日がありましたよ」と聞いたことがある。この日でも球団発表は350人だった。
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