日ハム時代の大谷翔平が語っていた確かな「予測」 追い求める理想の体は「しなる棒のイメージ」

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この日は、前年秋にドラフト1位指名された有原航平(現ソフトバンク)ら新人7選手の入寮日。大谷のブルペン入りは、室内練習場の様子が見えないグラウンドで、多くのメディアが新人選手を待ち構えているタイミングだった。

同日はスポニチを含む多くの担当記者が「1人体制」だったため、大谷の新年初ブルペンの取材を逃す結果に。練習を見られることが苦手だった当時の大谷からしてみれば、狙い通りメディアを撒くことに成功した。

私は「絶対、このタイミングを狙ってブルペンに入ったな〜」と、他紙の記者と笑い合った。

大谷が「20歳の誓い」で語ったこと

この3日後の1月11日。大谷は岩手県奥州市の成人式に出席した。驚いたのがこの時の会見だった。

あるメディアから「20歳の誓い」を求められると「"義務も権利"も出てくる。私生活もそうですし、そこを大事にしたいです」と、力強く語った。義務も権利も考えたことがなかった20歳の頃の自分が恥ずかしい限りだ。

20歳になれば当然、社会人としての責任も増える。勤労、納税という義務を果たす一方で、選挙権(当時)も与えられる。

では、プロ野球選手として夢と希望を与えるプレーを見せるために何ができるか。大谷なりに野球人としての「義務と権利」を考えていた。

「一塁まで全力疾走することは打者の権利でもあり、試合に出ていない選手のために走る義務でもある。試合に出る以上はそこを大事にしたい」

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出した答えは「全力疾走」だった。尊敬する稲葉篤紀氏のモットーでもある。

大谷自身も、花巻東時代から凡打しても一塁後方の芝生の切れ目まで駆け抜けるよう指導されるなど、全力プレーへの意識は高い。

将来に見据える「170キロ超え」についても質問が飛んだ。夢の大台。「球速に関するこだわりは年々減ってきている」としたが、「誰しもが無理と思う数字。でも直球は持ち味で一番の長所なので目指す価値はある」と言った。

肩を小突き合い、談笑する姿は20歳の青年そのもの。スポーツ紙のプロ野球担当記者にとって成人式は、高卒若手選手の取材の定番のひとつだが、大谷がグラウンドを離れても「義務と権利」という言葉の力で異彩を放っていたのは言うまでもない。

柳原 直之 スポーツニッポン新聞社MLB担当記者

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やなぎはらなおゆき / Naoyuki Yanagihara

1985年9月11日生まれ、兵庫県西宮市出身。 関西学院高等部を経て関西学院大学では準硬式野球部所属。 2008年に三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)入行後、転職し、2012年にスポーツニッポン新聞社入社。遊軍、日本ハム担当を経て2018年からMLB担当。『ひるおび』『ゴゴスマ』(TBS系)などに随時出演中。Ⅹ=@sponichi_yanagi

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