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豊臣秀頼が「徳川家康に臣従しなかった」裏事情 二条城会見での家康の行動から謎を解き明かす

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徳川家康と豊臣秀頼が対面をはたした二条城(写真: kumiko / PIXTA)
今年の大河ドラマ『どうする家康』は、徳川家康が主人公。主役を松本潤さんが務めている。今回は二条城会見において、豊臣秀頼が家康に臣従の意を示したのか否か解説する。
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慶長16年(1611)3月、徳川家と豊臣家の関係を考えるうえで、大きな出来事が起こる。徳川家康と豊臣秀頼の京都二条城での会見である。

家康が秀頼に上洛を要請するのは、これが初めてではなく、慶長10年(1605)にも北政所(豊臣秀吉の正室)を通じて行われたが、秀頼の生母・淀殿の拒否によりかなわなかった。

信長の弟や、清正らが対面に向けて動く

今回2人の対面に向けて奔走したのは、織田有楽斎(織田信長の弟。豊臣家家臣)だった。『当代記』には、織田有楽斎が家康のもとに派遣されたことが記されている。

また、加藤清正や浅野幸長らも家康の頼みにより、奔走したようである。家康の目的達成に向けた熱意が伝わってくるが、ここまでされたら、秀頼(大坂方)としても断る術はない。何より、家康と秀頼は縁戚、秀頼の妻・千姫は家康の孫なのである。

さて家康の上洛の目的には秀頼と対面したいということもあったが、いちばんの目的は即位の礼に参列することにあった。後陽成天皇が後水尾天皇に譲位されることになったからである。

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