11月にベルリンの壁崩壊30周年を迎えるドイツだが、気分は暗い。とくに旧東ドイツ地域の住民はとてもお祝い気分にはなれないだろう。
旧東側では「自分は2等国民だ」と考える住民が3人に1人を超す。1990年に東西ドイツが再統一されたとき、東側の人々は西側と同じ豊かな生活が送れると期待したが、そのような繁栄は訪れなかった。これでは東側住民の考え方や感情、投票行動が西側と違ってくるのも当然だろう。実際、1つの国でありながら2種類の国民を抱えるのがドイツなのだ。
こうした現実は9月1日の州議会選挙でも浮き彫りになった。排外主義的な右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が東側のザクセン州とブランデンブルク州で第2党にのし上がったからだ。得票率は同党が普段、西側で手にしている数字の2倍に達した。
このようにドイツ政治が東西で分裂してしまった背景には著しい経済格差がある。東側の1人当たり所得は91〜96年に西側水準の42%から67%まで上昇したが、その後は20年間かかっても74%がやっと。統一を実現したコール元首相が約束したばら色の未来は、なおも実現していない。
その最たる原因は政策にある。90年10月の再統一にあたり、旧西ドイツ政府は東側との通商を即時自由化すると決定。東側通貨は多額の貯蓄や負債などを除き、西側のドイツマルクと等価交換された。
東側の製造業が一夜にして死に体となったのはこのためだ。生産性が西側の10分の1だったにもかかわらず、割高な交換レートのせいで東側の賃金は西側水準まで急上昇。安価な労働力という東側の比較優位は瞬く間に失われた。
同じ年、旧東ドイツ政府は製造業救済を狙い、ある機関を設立している。トロイハントアンシュタルト(東ドイツ信託庁)。同庁を通じ、東側国営企業の資産の多くが雇用維持を条件に1マルクという象徴的な価格で西側に売却された。西側企業を誘致しようと、巨額の補助金が差し出されたのである。
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