INDEX
前回の小欄で言及した薄田泣菫(すすきだきゅうきん)は、日本のコラムニストの草分けである。古今東西の人物論を駆使して、ユーモアあふれる逸話コラムの名作をおびただしく書き残した。それを集成した『完本 茶話』は筆者の愛読書のひとつ、歴史家としては足らざる知見、物書きとしては短文を綴(つづ)る呼吸を教えてくれる。
「茶話」は大正年間の『大阪毎日新聞』夕刊の連載コラムだった。百年も前のものだから、その題材はわれわれが歴史や文学で学ぶような人物ばかりである。
わが歴史学・東洋史学も例外ではない。喜田貞吉(きださだきち)・内田銀蔵(うちだぎんぞう)・内藤湖南(ないとうこなん)・桑原隲蔵(くわばらじつぞう)など、往年の大家が次々に登場する。泰山北斗と仰ぎ見る碩学たちを温かなユーモアでくるんで、身近に感じさせてくれる腕前は、さすがである。
その「茶話」を読みなおしていたら、大正8年1月15日掲載の「狩野博士の門違ひ」という一文に出くわし、思わず再読してしまった。狩野直喜(かのなおき)博士は当時、京都帝大教授で日本の中国学の第一人者。「頭のなかで孟子と議論し」、「摑(つか)み合ひをしながら」外出するのが、「茶話」の描く狩野である。片時も研究が頭から離れず、いささか世事に疎い学者らしい風貌を活写しており、あらためて微苦笑を禁じ得ない。
とりあわせに違和感
ところが、初見ではないはずのしめくくりにひっかかった。訪問先の誤りに恐縮した狩野の「頭のなかでは、孟子が墨子や朱子や王陽明やと一緒に声を立ててからからと笑つてゐた」という一句、かねて絶妙なイメージ描写と評価が高い。とても及びえない境地の筆さばきながら、史上の人物のとりあわせは、どうにも気になる。
この記事は有料会員限定です
残り 675文字
