存在感も知名度もまるでない、吹けば飛ぶような弱小地方公立大学だからであろうか。わが校には、もはや絶滅危惧種となった「文学部」というところがある。そこでは「卒業論文」という、これまた希少となった風習・年中行事がある。
文系でも卒論を必須で課している大学・学部は、今や多くはあるまい。ところがわれわれは、これを学生の学業の集大成として、最重要の課題に位置づけてきた。今後も改めるつもりはない。
卒論審査が苦行に
例年この時期、同僚の先生方と話題になるのは、その卒論審査の苦労である。恒例の年中行事ながら、なぜこんなに苦行なのか。
入試シーズンの多忙な時期に重なる、学生の人生を決めるというプレッシャーがある、などなど、いろいろ理由はつけられる。けれども核心は、ズバリ卒論そのものにあって、読むに堪えない代物が少なくないからである。
日本語の体を成さない文を読むのは、頭脳が拒否反応を起こすのだろう。それに抗ってでも、試問の日までに読まないといけないので、これは難行苦行である。
われわれは書物を読むのが仕事なので、もちろん自国語・外国語を問わず、時に難しい文とも格闘しなくてはならない。しかし文献史料なら、いくら難解でも、論理・文脈・文体がある。読み解ければ、豁然(かつぜん)として気分がよい。それが仕事の醍醐味のようなところさえある。
卒論はそのハッピーエンドが少ない。文にも論にも成っていないからで、難解の底なし沼の様相を呈することさえある。学生の草稿を一字一句添削なさる先生方もいて、これには頭が下がる。到底マネできない。直しはじめるとキリがなくて、もはやその著者の文章ではなくなってしまう。
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