イノベーションと一口に言うが、技術革新と再発明は分けて考えたほうがよい。青色LEDのような技術革新は確かにすばらしいが、投資がかさむうえ、めったに起こるものではない。近年の主流は、再発明のほうなのである。以下では、この論点を掘り下げてみたい。
スティーブ・ジョブズが初めてiPhoneを紹介したとき、彼は携帯電話の「再発明」とうたっていた。実際にiPhoneは初代からハードウエアキーボードを排除して、その面積をディスプレーに割り当てており、先行するブラックベリーや日本のケータイとは一線を画していた。
iPodも同じである。この製品はウォークマンと同様に携帯音楽プレーヤーと呼ばれたが、10曲程度ではなく、1000曲を持ち運ぶデバイスとしてデビューした。そしてランダム再生やプレーリストという目新しい機能が人々を引き付けた。
いずれも商業的には青色LEDに勝るとも劣らない大成功を収めたが、既知の部品を組み合わせただけで技術革新はどこにもない。世界中のユーザーが共鳴したのは、製品として何を備えて何を備えないかという取捨選択なのである。携帯電話や音楽プレーヤーとしての最低要件は満たしつつ、製品の「あるべき姿」の解釈で勝負を挑み、見事に勝ってみせたと言ってよい。
そこで思い出すのが、キャンパスを行き交う学部生たちが文系・理系の別もなくシェークスピア作品の解釈に興じる米ハーバード大学の光景である。400年も前に書かれた作品群を土俵に上げて、仲間を最初は驚かせ、しだいに納得させる解釈を持ち出した学生が畏敬の眼(まなこ)を集めていく。これが解釈勝負の原型にほかならない。
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