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宮崎市定「中国を叱る」は、筆者がこよなく愛読してきたエッセイである。1980年代の中国の対外政策を批判し、中国に「心して自国の歴史を読め」と叱責してしめくくる文章は、痛快無比というほかない。
以下は、宮崎先生の「わたしの直言」と題する評論にある説明で、いっそう趣旨がわかりやすい。いずれもエッセイ集『遊心譜』(中公文庫、2001年)で読める。
「中国は古来、東亜における随一の大国であり、必然的に周囲の諸小国の上に立ち、宗主国としてその上に君臨した。併しこれは単にその武力を背景として、諸国を威服した為ばかりではない。周辺国を朝貢国として服従させるには、やはり大国は大国としての襟度を示さねばならなかったのである。……自らが紛争を起こしてはならない。若しも紛争が生じた時には、大国が小国に対して譲歩すべきである。」
宮崎先生が批判する中国の言動とは、主として当時の険悪な中越関係を念頭に置いたものであった。もとより、いまの南シナ海問題につながっている。一時の痛快というばかりでなく、先見の明も備えていた。
「利益のために争わぬ」
宮崎先生はわが東洋史学の先師にして巨匠、あくまで歴史家の立場をくずさないので、所説には史料的な根拠がある。18世紀前半、清朝の雍正(ようせい)帝の勅諭がそれである。「堂々たる天朝は、利益のために小邦と争うことはせぬものぞ」と言明した帝は、「隣国と友好を保つ」べく、ベトナムに対する譲歩を国境当局に命じた。
この「隣国と友好を保つ」という訳文、もとの漢語は「睦鄰(ぼくりん)」である。儒教の経書にある熟語で、詩文・史書に散見し、今日でももちろん使う。
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