朝鮮半島が一触即発の事態だからこそ、あえて取り上げたい。今上天皇の「お気持ち」表明から始まった法制論議のことである。
与野党は、特例法による退位実現で一致したが、退位そのもの以前に、より切実な問題がある。今上天皇が「旅」と表現された行為を、憲法上どう位置づけるか、だ。
今上は「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も」「天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて」こられた。被災者に寄り添い、戦争の犠牲者を悼む「旅」とは、平和憲法の象徴的行為そのものであり、高齢ゆえに「旅」を「縮小していくこと」は「天皇の望ましい在り方」ではない、と考えられた。
ところが、憲法第一章では天皇の行為を国事行為のみとし、法律・条約の公布、国会召集から儀式の執行まで、10の行為を限定列挙している。今上の「旅」は、ここには含まれない。このため「余計なことはなさらなくていいのだ」と言う学者さえいる。
「憲法下の天皇」を強調される今上には、耐えがたい矛盾だろう。今上は「お気持ち」の中で、国民に「象徴の立場への理解を求める」必要性について触れておられる。つまり、「旅」の評価を国民に問うておられるのではないか。
もし、「国民の総意」が「旅」を憲法の精神に沿う、不可欠の「象徴的行為」と判断するのなら、国事行為の11番目に書き加えること=憲法改正(!)が論理的帰結となる。そうして初めて、今上の思いが代々、安定的に継承されていくことになるだろう。
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