「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。(中略)こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」。今上天皇は8月8日の「おことば」の中で、「重い殯」という表現で自らの気持ちを表明した。
殯は、天皇が崩御したときに「天皇霊」を次代に引き継ぐため、ご遺体を長期間安置し分離する儀式だ。天皇の皇位継承は、その後の即位の礼、続く大嘗祭で天皇霊が継承されることで完了する。
殯の歴史をたどっていくと、皇位継承が不安定だった持統天皇の時代に行き着く。持統天皇の先帝、天武天皇の殯は2年2カ月に及び、大嘗祭が執り行われたのは、崩御から5年ほど経ってからであった。天皇霊の継承の前提となる殯が長期間に及ぶと、まつりごとは停滞し、皇位継承、ひいては社会の秩序安定も損ねる場合がある。
天皇葬は仏式だった
宗教学の第一人者である山折哲雄氏によれば、長期間に及ぶ崩御から皇位継承までのプロセスを解消したのは、仏式の火葬だったという。持統天皇は自らの葬儀に火葬を採用した初めての天皇だ。
火葬によって持統天皇の殯は1年と先代の半分になり、次の文武天皇は5カ月に、その次の元明天皇は1週間に短縮された。以後、明治天皇の父、孝明天皇に至る約1200年間、火葬という形で天皇の葬儀に仏教が関与する。
さらに持統天皇以降は崩御を前提とした皇位継承ではなく、女性天皇もフル活用しながら、譲位による安定した継承が恒常化していった。
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