私は、海上自衛隊に入隊して以来ずっと艦艇勤務だったが、28歳のとき、防衛大学校の指導教官として初めて陸上勤務に就いた。階級は2等海尉(中尉)で、小隊指導教官という担任の先生のような立場だった。
ある日、実家でテレビを見ていると、防衛大学校の卒業式の様子が流れた。「解散!」の号令とともに、卒業生たちが一斉に帽子を投げて、走り去る。それを見た祖母は、静かに私の母に聞いた。
「これは日本でやっていること?」
「そうよ、ヤス(筆者)はこの学校の先生してんのよ」
祖母は私のほうを向き、刺すような目つきで静かに言った。
「今の日本海軍は、官品愛護の精神を教えないのですか」
尋常ではない様子にたじろぎながら、どこから説明しようか考えていると、祖母は私の答えを待たず、畳みかけるように言った。
「天皇陛下からお預かりしている軍帽を投げ捨てるなんてことを、あなたは、なぜ許した」
祖母は1908年(明治41年)生まれである。終戦を満州で迎えると、一人で子供5人を連れて引き揚げ、その後も子供たちを一人で育て上げた。だからか、気性が激しく、このときも激高し手がつけられない状態となった。
祖母がこだわったのは、私が指導官としてなぜあの行為を許したのか、であり、激高したのは、天皇陛下からうんぬんではなく、帽子を投げ捨てるという行為に対してだった。
誰もが幼少より物を大切に扱うよう教育され、決して粗末に扱ってはいけないとしつけられているはずだというのだ。
長く使うことに気を配り、再利用する工夫をし、灰になっても肥料として活用してきたのに、かぶっている帽子を集団で投げ上げ、床に落としたままその場を立ち去るという行為を、誰もいさめない。それが日本の国内で行われているとは、どうしても信じられなかったのだ。よほど残念だったのだろう、激高を通り越して落ち込んでしまった。
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