1987年3月、私は海上自衛隊に入隊した。日本体育大学卒業後は、茨城県で高校の体育教員になることが内定していた。だが、どういうわけか教員という職では不完全燃焼の人生を歩むような気がして、自衛隊に入ってしまった。
入隊するとまず、新隊員教育を4カ月半受けた。この時代は、バブル期で日本中が好景気に沸いており、そういうときに自衛隊に入る者というのは私自身も含め、傾向として、程度がいいわけがない。
懸垂が1回もできない者、じゃんけんを知らない者、肉体的にも知能的にも、なかなか見られないような者だらけだった。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」
この山本五十六の有名な言葉が施設内の至る所に掲げられていたが、行われていたことは正反対だった。
模範演技はなく、わずかな説明だけでやらせてみて、「なぜできないんだ」と言う。教育というより調教だと思ったが、そうではなかった。
もしこれが徴兵だとしたら、もっと困った者が集まってきたはずである。それを前提とした旧海軍の教育方法は、少ない指導部で種々雑多な集団のボトム(底辺)をアップさせるという意味で実に理にかなっていた。まずはのみ込みの早い者に習得させ、できない者にはその同期の模範演技を見せ、何度もまねをさせて、できるようにするのである。
教育機関である分隊の構成は1尉(大尉)の分隊長と3尉(少尉)の分隊士までが幹部、いわゆる将校で、その下に班長といわれる下士官が7人いた。どこの分隊長も定年寸前の年寄りで、説得力のない理想論を長々とよくしゃべっていた。私の分隊長だけがまだ40代で、ムダな長話をしなかった。
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