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受験シーズンたけなわである。去る1月中旬は強力な寒波が襲来し、筆者の住む京都もまれに見る大雪、毎年恒例のセンター試験は、多大な難渋に見舞われた。どうにか無事に終わったのは、何よりのことである。これから本番の受験生も多く、関係者はまだまだ気が抜けない。
目下は競争の激しいグローバル時代。そこで必要なのは、一にも二にも人材である。わが日本でも有為な若者を育成し選抜すべく、入試をめぐる議論は絶えない。しかし、どうも大事なものが忘れられているような気がする。
試験は一にも二にも暗記。地理・歴史などのいわゆる暗記モノはいわずもがな、英語や数学でも、解答パターンを速く多く覚え込んだ者が勝ち、という世界である。
たしかに能力と努力が反映されるという点で、公平きわまりない。同時に、きわめてナンセンスである。それは断片的な知識の寄せ集めにすぎず、体系的な思考・実践的な技能とは、次元が異なるものである。
真の俊秀は選抜できない
試験・競争が昂(こう)じると、こうした弊害がおこってくる。試験を実施する側が公平を担保するのは、受験側の不満や批判を封じるためにすぎず、本旨であるはずの人材登用や教育効果とは、ほとんど関係ない。
いかに博覧強記でも聡明、有用だとはかぎらない。専門が高度になればなるほど、そうである。受験勉強で得た知識は、実地の学問や社会ではほとんど通用しない。大学も企業も新入生・新入社員に一から教える必要がある。
だから、試験に真の俊秀を選抜する機能はない。かえって個々人が伸ばすべき資質・適性を圧殺する。いわれなき序列・格差をつけ、人材を排除するシステムだといって過言ではない。それでも近現代は学歴社会、ずっとこれで動いてきたのが現実である。これもほぼグローバルスタンダード、現代の日本に限った話ではない。
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