[ポイント1]
人々は将来の結果をすべて知っており、利潤や満足を最大化させる合理的選択ができる「確実視」の前提を置くのがミクロ経済学。
[ポイント2]
ケインズが不況や非自発的失業を説明するため「不確実性」と「期待」を導入しマクロ経済学が発展。マクロ・ミクロの対立が経済学史。
[ポイント3]
マクロ経済学に「確実性」を注入した新古典派などが現在の主流で大規模金融緩和も主導。ただし2008年の金融危機を予見できず。

1.確実性・不確実性
人々は将来の結果をすべて知っているのか知らないのか。理論の前提にどちらを置くかで経済学派は二分される。経済理論上の最大のキモ
2.合理的選択
自己利益の最大化を目指す合理的経済人を想定するのは新古典派もケインズも同じ。近年の行動経済学は人の非合理性の理論化に挑む
3.貨幣数量説
貨幣は実物経済に影響せず物価を動かすだけという考え方。貨幣の中立性ともいう。新古典派理論の一部。ケインズはこれを否定した
4.情報の完全性・不完全性
新古典派は人々はすべてを知っていると想定。ほかの学派は不完全な情報しか持たないことが市場効率性を妨げるときもあると考える
アダム・スミスを始祖とする古典派経済学の誕生から約240年。多くの経済学派が登場したが、それらは理論の前提に「確実性」を置くのか、あるいは「不確実性」を置くのかによって2大分類できる。
この分類方法が優れているのは、現在の経済学の行き詰まりの背景を理解することを助けるからだ。2008年の金融危機がなぜ起きたのか、異例の大規模金融緩和によっても先進国の物価や経済成長率が想定どおりには上昇しないのはなぜか。
現代の主流派経済学がこれらに明確な答えを出せないのも実はこの確実性、不確実性の問題に根がある。
将来の結果がすべてわかれば何の苦労もない
自明な命題として証明なしで理論の基礎的前提に採用されるものを公準という。先の話でいえば、世の中には確実性を公準とした経済学とそれを公準としない(不確実性の)経済学の2種類が存在するということだ。言うまでもなく、公準の数が少ない理論のほうが適用範囲は広い。
先に学派の2大分類を示しておこう。確実性を公準とするのは古典派経済学から始まり、現代の主流派である新古典派とニューケインジアンの面々へ続く。一方、確実性を公準としない経済学はケインズ経済学とその正統的後継者であるポストケインジアンである。
古典派の時代、確実性を公準とした理論体系を明確にしたのがデヴィッド・リカードだ。確実性の公準を簡単に言うと、人々は今日取った行動が将来にどんな結果をもたらすかのすべてを知っており、さらにその行動ごとに将来の結果の良しあしを正確に順位づけできるということだ。
自分の利潤や効用(満足)を最大化する合理的選択を行う利己的な個人のことを「合理的経済人」と呼び、経済学はこれを人間のモデルとするが、それ自体は悪いことではない。現実社会で経済・社会政策を設計するとき、人々の利他性を当てにしてもうまくいかないからだ。人間が利己的な動機で行動したときに最もうまく機能する制度のほうが堅牢性が高いことは、歴史が証明する。
ただ経済学にとって重要な点は、こうした確実性と合理的選択の公準が結び付くことの意味だ。将来の結果を完全に知っており、そのうえで各自が利潤や効用を最大化する合理的選択を行えば、将来の社会の利潤や満足は確実に最大化される。
言い換えると、そうした選択によって資源の最適な配分が行われることになる。ライオネル・ロビンズの『経済学の本質と意義』以降、経済学は効率的な資源配分の問題を解く科学だと定義されているが、将来の結果を知るという最も難しい問題をすでに解決済みと仮定してしまうことで、経済学は最適な資源配分がどのように行われるかの仕組みを考えることに徹すればよくなった。
将来の結果がすべてわかるなら万事を市場に任せてもうまくいくのは当然だろう。古典派経済学の自由市場万能の価値判断も、確実性の公準があってこそ成り立つものなのだ。
こう説明すると、「経済学は将来を完全に予想できる神のような存在を前提にはしていない」と反論する人もいるだろう。確かに新古典派経済学以降では確実性の公準も姿を変えた。確率論が導入されたのである。
ただその中身を見れば、結局のところ確実性の想定がしっかりと維持されていることがわかる。確率論的な確実性とは、誰もが将来の結果の「確率分布」を正確に知っているということだ。価格がAになる確率は7割、Bになる確率は3割といった形である。サイコロを振って6が出る確率は6分の1であることを事前に知っているのと同じである。
これは、数学的には将来を完全に知っていることと同義だ。将来利益が100億円とゼロ円の確率が5割ずつなら、その期待利益は50億円。それを基に意思決定すれば、理論的には最善の資源配分が可能になる。
ただ、サイコロの目や生命保険における年齢別死亡率のように過去のデータから信頼性のある確率分布を統計的に予測できるものもあるが、将来の価格や需要数量などのように多くの経済的現象は確率分布としてすらも実際は予測不能だ。確率論でも現実離れしていることに変わりはなく、それが08年の金融危機を説明できなかった理由でもあった。
不確実性を導入したケインズの登場
ところで個々の主体に焦点を合わせるミクロ経済学と経済の集計量を見るマクロ経済学は別々である必要があるだろうか。個々の動きの合計が集計量だから、理論的にわざわざ分ける必要はないとも考えられる。
実は、ミクロとマクロを隔てるのはこうしたたぐいの違いではない。両者を分けた真の要因こそが、確実性の公準を持つか、捨てるかの違いだったのだ。大恐慌の時代、ジョン・メイナード・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』で確実性の公準を捨て去り、新たな理論の枠組みを提示したとき、マクロ経済学の歴史が始まったのである。
ケインズの理論を見る前に、まずは確実性の下で最適な資源配分はどのように行われるかを見てみよう。将来を正確に知っている人々は、自分が苦労して稼いだ所得を不必要に使わずに取っておくことはしない。最も満足度の高い形で現在消費と将来消費(貯蓄)に配分する。
一方で将来にその貯蓄が確実に消費されることをみんなは知っているので、その貯蓄は将来の消費財を生産するための工場や設備に全額投資される。そしてもちろん、将来、設備が稼働し消費財を生み出すとそのすべてが消費される。所得はすべて支出されるため、働きたくても職のない非自発的失業は存在しない。
こうした世界では、現在消費をあきらめて将来消費(貯蓄)に回してもよいと思える報酬が利子率になる。現在消費への選好が高ければ利子率は上がり、低ければ下がるわけだ。
これに対しケインズは、人々は将来の結果を確実には予測できないということを知っていると想定して理論を組み立てた。このような不確実性の中で人々が合理的に選択するとどうなるか。所得が現在消費と貯蓄に分割されるのは同じだが、貯蓄は将来に何かを確実に消費したいためというより、不確実な将来のためにとりあえず購買力を持ち越しておくという意味合いが強くなる。
その結果、貯蓄の中身も変わる。効率的に購買力を持ち越す資産は、長期間価値が劣化しない耐久性を持ち、かつ維持・補修、保管といった持ち越し費用や換金の取引費用が最小となるものが望ましい。機械や設備などの実物資産は耐久性があるが、持ち越し費用が大きく、転売するときの価値下落で取引費用も大きい。
逆に持ち越し費用や取引費用が小さく、購買力の貯蔵に最も適しているのは現金(貨幣)、株式、債券、投資信託などの流動資産だ。
重要なのは、これらの流動資産は取引にかかわる金融サービス業を除き、生産や雇用の増加に直結しないということだ。もちろん金融仲介機能を通じて流動資産から設備投資に回るものも一部あるが、すべてがそうではない。流動資産で貯蔵されるほど、総有効需要である国民所得は減り、かくしてケインズの言う需要不足による不況が生まれるわけだ。
確実性の公準は非現実的 怖い経済政策への影響力
ケインズは新古典派の「供給はそれ自ら需要を創る」というセイ法則を否定したとよくいわれる。それはそのとおりだが、セイ法則が成り立つのは先に見たように確実性の公準があるからだ。その非現実的な仮定を取り除くことでケインズは非自発的失業が生じることを論証した。
なおケインズは合理的選択の想定は維持した。不確実な将来を前に貨幣など流動資産に人々が逃げ込むのは合理的である。この点、人間の非合理性に焦点を合わせ新古典派経済学の微修正を行おうとする近年の行動経済学とは一線を画す。

ケインズは人々が「期待(予想)」を基に行動するというモデルを初めて明示的に取り入れた。流動資産を求める際、人々は将来不安が増すと債券や株を売って最も流動性(換金性)の高い現金を保有しようとする。すると債券価格が下落し、利子率は上昇する。逆に不安が減れば現金を手放して債券を購入しようとするため、利子率は低下する。このように期待により利子率が景気に不都合な方向に変動するため、ケインズは中央銀行が国債購入などで利子率を下げる金融政策を処方箋に挙げた。
ただ利子率が下がっても企業家が将来事業から得ることを期待する利益率がそれ以下の低さなら設備投資は行われない。この期待利益率も不確実な将来をめぐる期待に基づいているため、不安定な変動で極端に小さくなることがある。ケインズはそのようなときには、強制的に需要を創り出す公共事業などの財政政策を推奨した。また需要の安定的下支えに資する社会保障制度も支持した。
不確実性を継承しなかったアメリカンケインジアン
このように確実性の公準を捨てることで市場原理の不安定性を明らかにし、市場を支えるための政府介入の有効性を打ち出したケインズ。その後の経済学はどう変遷したか。
戦後、覇権は英国から米国へ完全に移り、そこで花開いたのがアメリカンケインジアン(新古典派総合)と呼ばれる学派だ。だが、彼らは金融・財政政策の処方箋はケインズから継承したものの、最も重要な不確実性の想定を導入しなかった。
代わりに理論の柱に据えたのが価格の硬直性や「IS-LM分析」だ。前者は賃金や価格が伸縮的に変化すれば新古典派経済学の言うように非自発的失業は存在しないが、賃金が硬直的で下がりにくいため、ケインズ的な失業が生じるというものだ。
だが、これまで説明したようにケインズは不確実性を根拠に非自発的失業がなぜ起きるかを論証したのである。それは伸縮的な賃金の下でも起きると力説しており、「伸縮的賃金政策が完全雇用状態をずっと維持できるという信念には何の根拠もない」と『一般理論』で述べている。
もう一つのIS-LM分析は、ジョン・ヒックスがケインズ理論を体系化したと公表したものだ。中銀が貨幣量を増やすと利子率が下がり国民所得が増えるといったメカニカルな図式で金融・財政政策の効果を示したが、不確実性をまったく考慮していなかった。晩年ヒックスはIS-LM分析の誤りを認めた。
またアメリカンケインジアンは、インフレ率と失業率がトレードオフの関係にあることを過去のデータから示すフィリップス曲線を理論に採用したが、これも過去データの傾向が将来も続くという確実性の想定にほかならず、本来のケインズ経済学とは相いれないものだった。
米国では1950年代に反共産主義の赤狩りが吹き荒れ、ケインズ経済学も対象になった。それも大学での本格的研究を萎縮させたようだ。
そしてアメリカンケインジアンの理論が現実を説明しにくくなった60年代後半以降、新古典派経済学からの反撃が本格化する。その主導者がミルトン・フリードマンだ。彼は長期的には経済は確実性の公準の下、失業なき資源の最適配分が行われ、経済変動の原因は技術革新や労働力増加など実物的要因であるとし、財政政策の無効を主張した。
ケインズが流動性選好により貨幣量が利子率に影響を与え、それが投資の増減を通じて経済変動を引き起こすとしたのに対し、フリードマンは貨幣量が影響を与えるのは物価だけであり、経済全体の生産や雇用に影響は与えないと論じた。たとえば貨幣量が2倍になれば、あらゆる商品価格や賃金も2倍になって実質的には何の変化もないというわけだ。
これは古典派経済学の一部を構成する貨幣数量説そのものであり、ケインズが否定した同説をフリードマンは復活させたのだった。
ただフリードマンがマネタリスト学派と呼ばれたのは次のような新規性ある主張が含まれたからだ。曰(いわ)く、短期的には人々は一般物価の上昇を需要増加と勘違いし(貨幣錯覚)、生産や雇用を増やすが、やがてその錯覚に気づきそれらを元に戻すから、貨幣量増加は物価上昇を起こすだけで失業率低下につながらない、と。
70年代、米国はスタグフレーションでインフレ進行と失業率高止まりが同時に起こり、アメリカンケインジアンのフィリップス曲線ではこれを説明できなかった。が、先のフリードマンの説明はぴたりと当てはまり、論争で圧勝。マクロ経済学の主流派の座に変化が生じた。
この流れをさらに加速させたのがロバート・ルーカスらの主導した合理的期待学派だ。ここではもはやフリードマンの言う貨幣錯覚すら起きない。確率論による確実性の公準が強固に導入され、中銀が金融政策で貨幣量を増やしても人々はそれによる物価上昇を需要増加ではなく単なる一般物価の上昇と認識するため、金融政策も無効になるとした。
「ミクロ的基礎づけ」で反ケインズ革命が完遂
有名な「ルーカス批判」は、不確実性の経済学であったマクロ経済学を百八十度方向転換させた。政府が政策を変更しても人々はそれによる将来の結果の変化を正確に予測し、対応的な行動を取るから、政策立案ではこの合理的期待を導入しなければならないと主張したのだ。
このようにミクロ経済学で生き続けていた確実性の公準をマクロ経済学に注入することをミクロ的基礎づけというが、それは学界での支持を得てあっという間に広まった。こうしてケインズの始めた本来のマクロ経済学は息の根を止められ、反ケインズ革命は完遂された。実際、ルーカスは「マクロ経済学という言葉は使われなくなり、ミクロという修飾語も不要になる」と言っている。
その後、現在に至る経済学には二つの流れがある。合理的期待を徹底させ、非自発的失業は存在せずに技術革新など実物要因のみで景気循環を説明するリアルビジネスサイクル理論とニューケインジアンだ。
ニューケインジアンは確実性の公準やミクロ的基礎づけを受け入れているため、アメリカンケインジアン同様、ケインズの後継者ではない。ただ非自発的失業が生まれるケインズ的マクロ経済状況を説明するため、価格の硬直性や情報の不完全性といった市場の不完全性の理論を基にミクロ経済学側を修正しようとする。確実性を公準としているため新古典派と同じ土俵で議論ができ、主流派経済学の一角を形成できた。
そんな新古典派、ニューケインジアンの双方に大打撃を与えたのが08年の金融危機だ。両学派ともこの危機を理論的に予期したり説明したりできなかった。一方、このとき理論的な正当性が評価されたのが、ケインズから不確実性の想定を受け継いだハイマン・ミンスキーの金融不安定化説だ。金融危機や現在のような低成長時代の経済を説明するには不確実性の想定が不可欠であることが示唆されている。
ただし、ミンスキーが属したポストケインジアン学派は今もって学界の超傍流にすぎず、主流派経済学の世界でも確実性の公準を見直そうという大きな機運は生じていない。経済学の混迷はまだ続きそうだ。

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