歴女(歴史好きの女性)や歴チル(歴史好きのチルドレン)などを、より一層歴史好きにするためには、“誰もがよく知っている人物の、あまり知られていない話”を紹介するのが、いちばん効果があるという。今回書くのはそのたぐいの話だ。
織田信長が合戦に赴くとき、領内の畑で農民が高イビキで寝ていた。ポカポカと暖かい日で、日頃疲れている農民にとっては土の上が何とも気持ちのよい寝床になっていた。信長の家臣が見とがめた。「領主が合戦に赴くのは領民のためだ。それを高イビキで見送るというのは不届き千万、血祭りにたたき切りましょう」とイキマいた。
が、信長は笑って止めた。「やめろ」「なぜですか」「俺はこういう光景が大好きだからだ。俺の国では、いつも領主の出陣を領民がイビキで見送るようにしたい。放っておけ」。私の好きな信長の一面だ。これを信長が天下事業を目指した動機、すなわち天下人への初心と考えたいからだ。
信長の後継者、秀吉にもこんな話がある。秀吉が最初の城主になったのは、近江琵琶湖畔今浜(秀吉は信長の名から一字取って長浜と変えた。同時に自分の木下という姓も羽柴と改めた。羽は織田家の重臣・丹羽長秀から、柴は同柴田勝家からもらった。彼にとって姓名は符丁のようなものだった)。彼の出身は尾張国中村(現・愛知県名古屋市)という農村だ。地元では「日吉(秀吉の幼名)がお城の主になった。お祝いを届けよう」と大騒ぎになった。「何がいいだろう」と祝品選びでもめた。故老が「日吉はこの村のゴボウが大好きだ。ゴボウを持っていけ」と言った。代表がゴボウを届けた。秀吉は大喜びした。
やがて秀吉は天下人になった。京都の聚楽第に住んだ。また祝い物の話が出た。ちょうど越前の羽二重が流行品だった。村の代表が皆の出し合ったカネを持って越前へ買い付けに行った。それを秀吉に届けた。秀吉は庭の土を踏んで怒った。
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