学部再編、教養課程の見直し、独立行政法人への移管──。文部科学省はここ20年以上、大学改革を推し進めてきた。直近では今年6月に出した「教員養成・人文社会科学系学部を廃止する」とも読める通達が波紋を広げている。
本来教育とは、自分たちの共同体に属する若い同胞の成熟を支援していくという、非常に気長で忍耐のいる作業だ。欧州では1000年以上の歴史を持つ大学があるが、建物の形も教室の様子も、授業のカリキュラムも急激には変化しない。「時代のニーズにキャッチアップする」という考え方は、もともと教育にはそぐわない。
ところが文科省の一連の大学改革は、市場の要請に合わせた“人材”を育てるようにと変革を促すものだ。社会のニーズに即した学問は残し、それ以外は切り捨てる「実学志向」が教育の現場に蔓延した。
実学志向の問題点は、一人ひとりの幸福や達成感を無視し、代替可能で規格化された人間を作ることだ。
「グローバル人材」は規格化された根無し草
たとえばその重要性が声高に叫ばれている「グローバル人材」。ある会社では採用面接で「明日、辞令が出て海外の支店に行けと言われたら、君は行けるか」と聞くという。ここで「はい」と即答できる人間が採用されるのだが、言い換えればこの人は、「明日、いきなりいなくなっても誰も困らない人間」である。
家族や地域社会に頼られ、必要とされる人間なら、こんな辞令には簡単には応じられないはずだ。教育の目的はむしろ共同体に根付いた、成熟した人間を作ることであり、グローバル人材という名の根無し草を作ることなど到底できない。
そもそも「実学」とは、単に教育投資が短期的に、確実に回収できるものをそう呼んでいるだけで、何が実学で何が虚学か、の定義はない。文系・理系を問わず、産業構造の変化とともに移り変わる。
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