ダイバーシティがブームになっている。その本質や是非に関する議論を封じる空気が漂う一方で、数値目標だけが独り歩きする現状に、私は危惧の念を禁じえない。水を差すようで恐縮だが、ここではあえて異論を唱えてみたい。
そもそもダイバーシティとは何の多様性をいうのであろうか。ちまたでは性別や国籍、経歴ばかりに関心が向いているが、それは人間の外形的な一面にすぎない。内面的な特性として、私はキャラクターとパーソナリティとテンパラメントを区別するよう心掛けている。
キャラクターとは、人が持つ正義心や自立心、または倫理観のことを指している。正しい選択肢と別の意味で正しい選択肢の間で決断を迫られるときにキャラクターは試されるがゆえ、欧米では試練の瞬間に備えてキャラクターはビルドしておくものとされている。そこにダイバーシティの入り込む余地はない。
パーソナリティは、根が明るいか暗いか、饒舌か寡黙か、攻撃的か受け身か、といったたぐいの性格を指している。俗に「キャラ」や「キャラ立ち」というときは、パーソナリティを意味することが多い。パーソナリティについては、チーム内で組み合わせの妙があり、ダイバーシティを考慮する余地がそれなりにある。
テンパラメントは難しい概念で、心理学者も合意には至っていない。しかしながら、私には我流の解釈がある。大学の教官には試験監督業務が付きもので、所定の時間を持て余し伏せて寝る学生の隣の席で、鐘が鳴るまで鉛筆と消しゴムを走らせる学生を目撃する。これこそ目に見えるテンパラメントの差と私は受け止めている。
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