前回の原稿の中で、私が浅草の焼き鳥屋の亭主と、初対面以来3カ月くらい口を利かなかったと書いた。最初私は亭主を生意気で無礼なやつだと思ったし、亭主も私をエラぶる嫌な客だと思ったようである。
東京都庁の局長だった頃、私は努めて権威色を消そうとしていたが、やはりどこかに消しきれない臭みが残っていたのだろう。焼き鳥屋の亭主は敏感にかぎ取ったのだ。嫌われたにもかかわらず、懲りずに私がせっせと通ったのは、歴史にそういう教訓があるからだ。織田信長と千利休のエピソードである。
天下人になった信長はもともと経済や経営を重視する、当時としては珍しい武将だった。特に彼は“一所懸命”の思想を嫌った。一所懸命とは土地を至上とする日本人の価値観だ。日本は狭い。土地を給与として与える当時の慣行ではやがて限界が来る。そして“一所懸命”が培養する“しがみつき”の精神は、改革を嫌がる。物心両面において大きな壁だと信長は感じていた。
あるとき、新武器として鉄砲を買い入れるために信長は堺(現在の大阪府堺市)の町に出掛けた。この町には支配する大名がいない。商人の代表が36人、「会合(えごう)衆」と称して合議制の集団指導を行っている。自由都市だ。武士を雇って町のガードマンとし、町の周りに堀や櫓(やぐら)を作って自衛力を保っている。
信長は当時、茶人として名を高めていた千利休と会った。利休は本業は魚屋であり港の倉庫業者である。茶室に案内した。“市中の山居”と名付けていた。信長に、「私は亭主として湯を沸かすので先に茶室に入るが、あなたはそこのにじり口からお入りください」と告げた。にじり口は小さくて入れない。信長が文句を言うと、利休は「では身をかがめてお入りください」と言う。度量の大きい信長はそのとおりにした。
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