コーポレートガバナンスが、いよいよコード(規定)になる日が近づいている。これは、どう見ても終わりの始まりである。終わりを迎えるのは「日本的経営」にほかならない。
コードの背後にはアメリカの圧力が見え隠れする。日本の企業はアメリカの企業や事業部門を自由に買収できるが、逆は真でない。米国企業が日本の企業や事業部門を買うのは依然として至難の業で、買収事例も極端に少ない。この非対称性の解消に、ついにアメリカが乗り出してきた。戦後史を振り返ると、そう受け止めるのが妥当と思われる。
日本が国を挙げて「談合」に走ったのは、IMF8条国となった1964年からである。アメリカにしてみれば、そこで資本の自由化まで拙速に迫ることにより、日本を過剰防衛に追い込んでしまったという反省があるに違いない。だから今回は真綿で首を絞めるようなアプローチを採ってきた。
その好例が社外取締役の導入に関する要求である。是非論が盛んになったのはつい数年前のことであったのに、反対派の代表格が最初の「1人」を受け入れた時点で、いつの間にか要求は「2人以上」にハネ上がり、今回のコードには伏線として新たに「3分の1」という文言が埋め込まれている。外堀、内堀を順に埋めて本丸の「過半数」に迫る意図が透けて見える。
同様に、今回のコードは新たな領域で堀を埋める作業に手をつけた。具体的には、コードの原則1-4が株式の持ち合いに関する説明責任を規定する。合理的な説明が難しいことを考慮すると、「安定株主工作」は死語と覚悟すべきであろう。
そして原則3-1では、経営幹部を選任し、その報酬を決めるというくだりの主語が、なんと「取締役会」になっている。これは補充原則4-10と併せると、全上場企業を実質的に委員会設置会社に近づける路線の始まりと読めてしまう。幹部人事を社長に一任するという発想も、もはや捨てたほうがよい。
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