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メジャーリーグの日本人は選手だけではない 元高校球児が掴んだアメリカンドリーム

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公式戦出場経験ゼロだった植松泰良は、どのようにして夢をつかんだのか(撮影:尾形文繁)
2008年からサンフランシスコ・ジャイアンツのブルペンキャッチャーを務め、ワールドシリーズ制覇の証として3つのチャンピオンズリングを持つ植松泰良。彼は高校の野球部時代、公式戦出場経験ゼロだった。米国に渡った名もなき若者が、メジャーリーグで夢をつかむまでの軌跡。その前編をお届けする。
=敬称略=

 

2007年7月10日、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地AT&Tパークでメジャーリーグのオールスターゲームが開催された。8年以上前の話だが、この試合を記憶している人も少なくないだろう。

当時マリナーズのイチローがアメリカンリーグ1番センターで先発出場し、オールスター史上初のランニングホームランを含む3打数3安打2打点の大活躍で、日本人初のMVPに選ばれた。

もう1人の日本人

この試合にはドジャースの斎藤隆、レッドソックスの岡島秀樹も参加していたが、もう1人、若干24歳の日本人がフィールドに立っていたことはあまり知られていない。

AT&Tパークは、設計時にブルペンを付け忘れたという逸話が残るスタジアムで、ブルペンはファウルゾーンにある。そこで、ブルペンキャッチャーとして名だたる投手の球を受けていたのが、植松泰良だ。

日本でプロ経験もない若者が、この日、この場所にいた理由は後ほど明らかにしよう。

この日、初めてメジャーのフィールドからお客さんでいっぱいのスタンドを眺めた植松は、4万人を超える観客の熱気を全身で受け止めて、ただただ圧倒されていた。目の前で繰り広げられるトップクラスのメジャーリーガーのプレーに、胸の高鳴りを抑えられなかった。ブルペンでは、メジャー屈指の投手の、あまりのコントロールのよさに舌を巻いた。

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【植松が米国に渡ったきっかけ】

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