──『ナチュラル・シンボル』は、同業の人類学者たちにさえ忘れられがちな古典だったとのこと。ひもとくきっかけは。
コロナ禍だった。正しい知識を持っているとされる感染症の専門家が、合理性を超えた過剰な感染対策にも異議を唱えない。そんな場面を何度も目にする中で、人の行動を決めるものは論理ではないのだろうと思った。人は、何か象徴に突き動かされて動いてしまう。論理は後付けなんだ、と。
例えば私が、「炎天下でも皆がマスクをしているのは変だ」と言うと怒り出す人がいた。
──マスクは命を大事にする象徴だったからですか。
というより、マスクをしていることが「自分は他者に感染を広げない道徳的な人間である」という象徴だったからだ。
2022年の安倍晋三元首相の国葬をめぐっても象徴が感情を動かしていた。国葬賛成派と反対派、双方とも先に感情があって後から法的根拠を持ってくる。これは安倍晋三という人が、象徴になっていたからだ。彼を通じてすばらしい日本を見ていた人と、どんどん悪くなる社会を見ていた人とが、真っ二つに分かれて戦っていた。
「分断」といわれるような対立構造は、「象徴とは何か」を真剣に考えなければ読み解けず、解消もされない。だから本書で、改めてこのテーマに取り組もうと考えた。人間である以上、誰もが象徴によって感情を動かされる。自分が妙に熱くなったり怒りに震えたりしているときは、何らかの象徴が働いている。
中間地点をとらなければならない
──ダグラスの象徴論に立ち返り、気づいたことは。
この記事は会員限定です
残り 1854文字


