例えば、台北101の近くにある象山を含む「台北文化径×山林径」という構想がある。台北は高層ビルが立ち並ぶ大都市でありながら、少し足を延ばせば山歩きを楽しめる。首都でありながら、これほど気軽に登山やハイキングができる都市は世界を見渡しても珍しいだろう。そこで、登山口の近くに装備のレンタルや荷物預かり、着替え、靴洗いなどができる施設を整え、地下鉄駅からのアクセスや多言語ガイドも充実させる。交通、観光、文化、公共施設の運営をつなぎ合わせることで、「台北で気軽に山へ行く」という一つの体験をつくろうとしているのだ。
特にわたしが関心を持ったのは、都市の樹木をめぐる政策である。
都市の緑化については現在、国際的に「3-30-300」という指針が提唱されている。自宅や学校、職場から3本の木が見え、地域の面積の30%以上が樹木の枝葉に覆われ、300メートル以内に緑豊かな公園がある環境を目指すというものだが、沈陣営はこれを踏まえ、台北市全体の樹木被覆率20%、緑被率30%を長期目標に掲げる。
さらに、樹木の健康状態や剪定履歴をデジタルで管理し、樹木に関わる基金の設置や人材育成に取り組み、伐採や移植の際には行政、住民、専門家などが話し合う仕組みを設ける。切った木も「廃木材銀行」で再利用し、資源循環につなげようという。一本の木を入り口に、気候、防災、歩行環境、福祉、交通、市民参加、循環経済までがつながるのだ。
もちろん、こうした政策にも課題はある。木を増やすには歩道の広さや地下埋設物との調整が必要で、維持管理には継続的な費用がかかる。市政府の複数の部署をどう連携させるのかという問題もある。政策として魅力的に見えることと、実際に実現できることは別だ。
ただ、そうした難しさも含めて、市民が具体的な未来を思い描けるようにビジョンの伝え方を工夫することには意味がある。沈陣営は10月6日から、かつて台北の地下鉄駅で配られていた無料新聞を思わせる「順報」を発行。さらに27日には、20人の作家や漫画家、イラストレーターが参加した『洋流誌』を発表した。政策を5つのテーマに分け、詩や小説、漫画、イラストなどを通して表現した。文字ばかりの政策白書が読まれにくいなら、物語や絵を通して届ければよい。そんな発想に、台湾の文化的な豊かさをも感じられる。
中国との関係だけでは見えない、台湾の民主主義
「政策島」は、まったく新しい発明というわけではない。台湾では以前から、オンラインの公共政策参加プラットフォーム「JOIN」などを通じ、市民が政策を提案し、行政の複数部門に跨って議論する取り組みが進められてきた。「政策島」は、そうした市民参加の経験を選挙に生かしたものといえる。
そして、重要なのは選挙後だ。94項目の公約を明示したことで、当選後には市民が進捗を確認する「公約台帳」にもなり得る。実現までの期限や予算、計画の変更理由を4年間公開し続ければ、選挙運動のツールが、市民による行政監督の仕組みに変わる。そのためには、選挙後も対話を重ねる地道な努力と忍耐力が欠かせない。
一方、選挙戦にも難しさがある。両陣営の支持者による過剰な攻撃や誹謗中傷が激しくなれば、どちらの陣営にも属さない中間層が、かえって政治から距離を置いてしまうおそれもある。
さらに、偽情報や認知戦への警戒も必要だ。生成AIの技術が進んだ現在、例えば投票直前に、中国軍が台湾への攻撃を準備しているかのようなフェイク映像が拡散されれば、人びとの不安をあおり、冷静な判断を妨げる可能性もあるだろう。こうした情報を安易に信じたり拡散したりすれば、結果的に台湾社会の混乱や分断を望む側に利用されかねない。政治的な立場が違っても、まず事実を確かめ、相手の言葉に耳を傾ける。そんな民主社会の基本が今こそ大切になる。
台湾の選挙というと、日本ではどうしても中国との関係や安全保障に注目が集まりがちだ。もちろん、それらは台湾の未来を左右する重要な問題である。しかし、台北で暮らす筆者を含めた市民にとっては、子どもが安心して学校に通えるか、夏の暑い日に木陰を歩けるか、親の介護をどうするか、忙しい毎日のなかで少しでも自分の時間を持てるか、といった身近な問題も切実だ。
今回の選挙で筆者が注目しているのも、勝敗だけではない。選挙が終われば熱気もいずれ落ち着くだろう。しかし、市民が寄せた声や、そこから生まれた議論は、その後の台北に何を残すのだろうか。
より多くの人びとに共有されたビジョンこそが、未来の現実をつくっていく。今回の台北市長選挙は、台湾が積み重ねてきた民主主義を、日々の暮らしのなかでどう育てていくのか。そんな問いを、わたしたちに投げかけている。


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