同じ設定を見ても、それをどう受け止めるかは、見る人によって大きく違う。作り手が込めた意味と、受け手が結びつける意味は、必ずしも一致しないのだ。
ミセスに向けられている「2つの期待」
人は、相手に抱いていた期待から外れた振る舞いを見ると、評価を大きく動かす。これは「期待違反理論」と呼ばれている(※2)。
ミセスに向けられている期待は、少なくとも2つある。1つは、「安心して聴ける」という道徳感への期待。もう1つは、「驚きを見せてくれる」という創造性への期待だ。
期待違反理論によれば、期待から外れた振る舞いは、受け手がそれをどう受け止めるかによって、評価を上げることも下げることもある。
「安心」を期待する人の目には、キャバクラという設定は「踏み外し」と映る。
「驚き」を期待する人のうち、社会の暗部に踏み込んだことを「新境地」と受け止めた人には、それが称賛につながった。一方、ドレスから最短距離で選ばれた設定と受け止めた人には、「凡庸さ」と映った。
これらは筆者の仮説ではあるが、同じ設定が、期待の種類と受け止め方によって、正反対の評価を生んだのだ。称賛と違和感が同居した背景には、こうした期待の違いがあると、筆者は考える。
ただし、ファンの多くは、MV全体の物語に目を向けているように見える。夢を追い、傷つき、最後は自分を肯定する。そこに共感する人にとっては、職業の設定は、物語の入り口にすぎない。《何が問題なのかマジでわからんかった…》という声は、その表れだろう。
ここに、過去の記憶が重なる。《コロンブスの時といい周りも本人も楽観的だよね…》という投稿のように、一度の失敗から「また炎上要素があるのではないか」という読み方をされ、新しい映像への評価を方向づけてしまう。一度できた先入観を裏づける情報ばかりが目に入る心理は、「確証バイアス」と呼ばれている(※3)。


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