有料会員登録
ライフ #再開発されない街

「日本初の本格的な郊外型高級住宅街」「渋沢栄一も開発に関わる」…目黒・品川・大田区にまたがる"隠れ高級住宅街"の実態

6分で読める
洗足駅
目黒区の洗足駅周辺はどんな街?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
2/4 PAGES
3/4 PAGES

この「再開発されない街」の連載で取り上げる街は、1923(大正12)年の関東大震災を機に、東京市街地の人口が流れ込んできて変化したパターンが多い。洗足もまた同様だが、この街はそれより前に意図的につくられてきた。代表的な高級住宅地・田園調布をつくり上げた田園都市株式会社が最初に着手したのが、ここ洗足なのだ。

現在の東急の前身である同社は1918(大正7)年9月、渋沢栄一を筆頭に設立された。渋沢栄一が田園都市の理想を描いていたところに、荏原郡一帯の地主が訪ねてきて開発計画を説明し、その実施を依頼したのが同社設立の経緯である。同社は高級住宅地を計画し、創立と同時に洗足地区の用地買収に着手した。

1921(大正10)年に耕地整理組合を設立。耕地整理事業進行中の翌年6月から、「洗足田園都市」として第1回の分譲を開始した。現在の洗足駅周辺のエリアである。すぐに8割が売れ、残りも半年以内にほぼ売れたほど盛況だった。

1922(大正11)年には目黒蒲田電鉄が設立され、1923(大正12)年3月に目黒線(目黒〜丸子間)が開通した。このとき洗足駅も開業。蒲田線(丸子〜蒲田間)が同年11月に開通し、これにより目黒〜蒲田間が全通したことから、路線名は目蒲線と改称された。

洗足駅には田園都市株式会社の本社が置かれ、目黒線開通の際には華々しい開業式典が催された。

新しい時代の暮らしを象徴

同年9月に関東大震災が発生したが、洗足に建っていた40戸あまりの住宅は被害を受けなかった。これを機にさらに市街化が進む。

1924(大正13)年に第2回の分譲が行われた。これは現在の北千束駅の東側のエリアである。さらに昭和初期に目黒蒲田電鉄が売り出した7500坪を加えると、洗足田園都市の分譲規模は約8万4500坪、574区画に及ぶ。

4/4 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数