明治30(1897)年に山口県岩国に生まれた宇野千代は、わずか1歳のときに生母を亡くした。肺病を患っていたらしい。その翌年にあたる明治33(1900)年5月、父の宇野俊次は、17歳の佐伯リュウと再婚。千代はリュウに育てられることになる。
宇野千代と継母との出会い
父から「今日から、これがお前のお母じゃ」と言われたときのことを、のちに千代はこう振り返っている。
「私はこの降って湧いたような母を、吃驚して眺めた。色の白い、それはきれいな人であった。私には自分を生んだ生母の記憶が全くなかったので、生母とこの新しい母とを比較して考えることが出来なかったのである」
父とリュウとの間にはその後、4人の男の子と1人の女の子が生まれることになる。千代はきょうだいの面倒をよく見たようだ。
注目すべきは、継母リュウの千代への接し方だ。例えば、おはぎをもらい、弟や妹たちが早く食べたがっても、千代がその場にいなければ「まアお待ちい。姉さまがお戻りてから分けて上げるけえ」と言って、弟や妹たちを待たせたという。
そんな継母の振る舞いについて、千代は「芝居などで見る継子いじめの反対なのであった」と振り返っている。実の子ではないからこそ、肩身の狭い思いをすることのないように、リュウは千代をことさら大切に扱ったのだろう。


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