いきなり父から「伯母の家へ遊びに行って来い」と命じられて、千代が従うと、伯母の家の総領息子である従兄の雄一(本名は藤村亮一。自伝『生きて行く私』での表記)と引き合わされることに。
外が暗くなってきたので帰ろうとすると、伯母が雄一に「お前、千代さんの家まで送って行かにゃあ」と声をかけ、2人は連れ立って歩いて帰ることになった。
家の裏門の前で別れると、いきなり現れた父から「おどれ、こんとに暗うなるまで、よう男と歩いとったな」と言われて、平手打ちを2発も食らわされたという。
あまりに理不尽だが、後日、伯母側から「千代を雄一の嫁にもらいたい」と申し出を受けると、父は即座に承諾。千代にはこう言い放った。
「われあ、早やじきに、鉄砲小路の家に嫁入りするのじゃぞ。ええか、われあ、あんとき、あんとに暗うなってから雄一と一緒に歩いて来たのじゃけにな。よもや忘れてはおるまいがの」
夜道を一緒に歩いただけで結婚とは、あまりにもメチャクチャだが、このとき俊次は病に侵されており、生きている間に娘の縁談をまとめたかったようだ。後日それを知った千代は、こう呆れている。
「それにしても、暗い道を雄一と一緒に帰って来たことの刑罰として、嫁入りさせるのだと言う架空の設定は、どこから出たものであろう」
10日で夫の家から逃げ帰った
かくして13歳で伯母の家に嫁ぐことになった千代だが、夫は夜になれば、外に出かけていってしまう。いたたまれなかったのだろう。結局、千代はたった10日間で、夫の家から自分の家へと逃げ帰っている。このあたりは、ほぼドラマで描写された通りである。
帰宅した千代を待っていたのは、病で痩せこけて、変わり果てた姿の父だった。相手の家からの逃亡を責められることもなく、これまで通りに家で過ごすことを許されたという。
千代は生涯で4度の結婚と離婚を経験することになるが、最初の結婚は、父の一存で決められ、あっさりと幕を閉じることとなった。
娘の人生を思うままに動かそうとした父と、どんなときも娘を一番に立ててくれた継母。正反対の2人の親のもとで、千代は「人に決められた人生」の窮屈さと、「自分は大切にされている」という揺るぎない自信の両方を知ったのではないだろうか。
自分の生き方は自分で決める。のちに恋も仕事も思うままに選び取っていく千代の生き方は、この岩国の家で、すでに芽吹いていた。
【参考文献】
『宇野千代全集』第12巻(中央公論社)
宇野千代著『生きて行く私』(角川文庫)
『新潮日本文学アルバム 宇野千代』(新潮社)
真山知幸著、親野智可等著『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)


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