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「常に新しい凶器を探せ」…昭和を駆け抜けた"稀代の極悪女王"ダンプ松本が使いこなせなかった《意外な凶器》とは

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「極悪女王」として絶大な人気を誇ったダンプ松本の意外なエピソードを紹介します(写真:hafuphoto/PIXTA)

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Netflix『極悪女王』のモデルとなった女子プロ団体「全日本女子プロレス興業」は、2005年に活動を停止するまでの約37年の歴史の中で、数多くのスター選手を生み出し、何度も「女子プロレスブーム」を巻き起こしてきました。
本稿では、そんな「全女」のスターの中でも傑出したヒールとして人気を博したダンプ松本の、意外な素顔と、高いプロ意識が垣間見えるエピソードを、伊藤雅奈子氏の著書『落城 実録 全日本女子プロレス「熱狂」と「極悪」の37年史』から一部を抜粋・編集する形でお届けします。

4度目の挑戦でプロテストに合格し「ダンプ松本」に改名

ダンプ松本は、ビューティ・ペアが解散した翌々月の1979(昭和54)年4月に入団した。しかし、その後のプロテストを突破できず、同年末に営業部へ転属。普通自動車の運転免許を持っていたため、宣伝カーの運転を担当させられた。

翌1980(昭和55)年、4度目の挑戦でようやくプロテストに合格して、プロデビュー。4年後の1984(昭和59)年1月4日の後楽園ホール大会で、本名の松本香からダンプ松本に改名し、同期のマスクド・ユウ(本庄ゆかり)改めクレーン・ユウと極悪同盟を始動させた。

このとき、ある素人男性が極悪同盟にメンバー入りした。阿部四郎だ。

阿部は、芸能イベントやプロレス興行をプロモート、キャスティングする大和プロダクションという会社の代表。全女とは1970年代から取り引きしており、自身が関与する興行限定で、レフェリーとしてもリングに立った。

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