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ライフ #百貨店消滅タウン

「初日15万人」四国最大のそごうが大成功→客がどんどん流出…県庁所在地なのに百貨店が全滅「四国有数の大都市」の事情

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「ようこそ徳島へ」の看板とヤシの木の向こうにそびえる、巨大なアミコビル。アミコのロゴの左側にうっすらとそごうのマークが見える(写真:筆者撮影)
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そごうの開業前後には、そのための事業が相次いで動き出した。1982年度には紺屋町の地下駐車場が事業化され、その後も1983年度に新町川をまたぐ連絡橋「あいせん橋」、1984年度には紺屋町のシンボルロードと続いた。駅前の集客を、既存の商店街へ波及させるためである。

駅前も新町地区も車道が広く、横断歩道が多いため歩いて行き来しにくい(写真:筆者撮影)
新町地区にもヤシの木が並んでおり、横断歩道も長いため行き来に時間がかかる印象があった(写真:筆者撮影)

そごうが街の中心を変えた

1983年10月1日、そごう徳島店が開業した。売り場面積は約1万9500平方メートル。当時、四国で最大の売り場面積を持つ百貨店だった。初日には約15万人が訪れたという。

そごうは、徳島の街の中心を大きく変えた。まず、服を買う場所が変わった。駒木伸比古氏の研究(2010)によると、衣料品の買い物先は、1982年には新町地区が37.5%、駅前を含む内町地区が10.0%だった。それが1989年には新町19.9%、内町34.2%と逆転している。

店の売り上げにも、同じ変化が表れた。下のグラフは、内町と新町の小売販売額の移り変わりを示している。

そごう開業前の1982年は、新町(緑の線)が502億円で、内町(オレンジの線)の320億円を大きく上回っていた。ところが、開業から2年後の1985年には内町492億円、新町423億円。二つの線が入れ替わっている。徳島の商業の重心は、新町地区から駅前へはっきりと動いた。

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