地元の丸新か、大手のそごうか
「丸新、あっせん拒否」
1979年7月、徳島新聞はこのように大きく報じた。この年、市は駅前再開発ビルの核テナントをめぐり、地元の丸新百貨店と交渉を続けていた。しかし、丸新が駅前へ出るには大きなハードルがあった。
当時の報道によれば、出店に必要な投資は約100億円。採算に乗せるには年間約200億円の売り上げが必要とされた。対して、当時の丸新の年商は約80億円しかなかった。
そこで浮上したのが、丸新とそごうによる共同出店である。ところが、新会社の経営を誰が主導するのか、出資比率をどうするのかで折り合えない。地元百貨店として長く営業してきた丸新側には、自社が主体になれない条件を受け入れがたい事情があった。
市長が仲裁に乗り出しても、隔たりは埋まらなかった。前出の記事は、その結末を伝えたものだ。丸新側は市の案を「地場育成を無視」していると反発。一方の市長は「再開発ビルのキーテナントは、そごう単独で」との考えを示した。
地元百貨店を残すのか。それとも、ジャスコやニチイに対抗できる強力な核をつくるのか。駅前の核をめぐる交渉は、徳島の商業をこれからどう組み替えるのかという議論でもあった。
もっとも、巨大な百貨店を駅前に置くだけで、新町地区との共存が実現するわけではない。「駅前に集まった人を、どうやって新町地区まで歩かせるか」が課題だった。
1972年の報告書は、新町地区側を、歩いて商店を巡る「ストリート型」の商業地区と位置づけていた。二つの地区を一つの中心市街地として機能させるには、その間を人が歩けなければならない。
ところが報告書は、両地区が国道192号で分断され、当時の歩道橋も歩行者の障害になっていると指摘している。そこで、歩行者の主軸をつくること、道路を横断しやすくすること、新町川の周辺を整備することなどが計画された。


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