新町地区がにぎわっていた1972年、日本商工会議所の商業近代化委員会によって一冊の報告書がまとめられた。『商業近代化地域計画報告書 徳島地域』である。そこには、徳島駅前と新町地区という二つの商店街群について、「両商店街群を二眼レフとし」と書かれている。
二眼レフとは、二つのレンズが上下に並んだカメラのことだ。一つは被写体をのぞくため、もう一つは撮影するためのレンズで、役割の違う二つがそろって一枚の写真が撮れる。
では、徳島の「二つのレンズ」はそれぞれ何を担うのか。徳島市に確認すると、説明はこうだった。駅前には「大きな一つの核となる核店舗」を置く。新町地区側には「回遊性」や「楽しい散策」を担わせる。役割の違う二つの地区が、一つの中心市街地として機能する。それが二眼レフ構想だったという。
報告書によれば、当時市内にあった丸新、つぼみやの2百貨店の売り上げは、1968年の約33億4000万円から1970年には約41億円へ伸びていた。その一方で報告書は、売り場の狭さや品揃えなどを課題に挙げている。商業にまだ力があるうちに、将来の競争へ備えようとしていたと読める。
二眼レフ構想の前提は、既存の商店街も新しい時代に対応する努力をして、駅前と「共存共栄」することだった。駅前を強くするだけでなく、両方をどう活性化するかが出発点だった。
ジャスコとニチイへの危機感
ただ、1970年代後半になると、事情が変わってくる。徳島市によると、1974年を境に市の商業人口は減少し、県外への消費流出も起きていた。さらに、ジャスコやニチイといった大型スーパーが徳島進出を計画していた。
中心市街地の外に大型店ができれば、既存の商店街から消費が流れるかもしれない。市は駅前再開発に、中心市街地からの消費の流出を食い止める「ブレーキ役」を期待していた。
将来に備えるための計画は、こうして、目の前の消費を守るための計画に変わっていく。では、その核を誰に任せるのか。実は、市は最初からそごうを誘致しようとしていたわけではなかった。


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