そもそも「育ち」とは、その人がどのような家庭環境で育ち、どのようなしつけや教育を受けてきたかを意味する。「育ちが悪い」という言葉には、本人の行動だけではなく、その人を育てた親や家庭環境や経済環境まで否定するニュアンスが含まれている。
同じようなことは、芸能人の箸の持ち方をめぐる批判でも見られる。テレビ番組で箸の持ち方がおかしいと指摘されると、SNSでは「親にしつけられなかったのか」「育ちが悪い」といった声が上がることがある。
もちろん、マナーを大切にすること自体は悪いことではないし、正しい箸の持ち方には意味がある。一般的な食事のマナーを身につけておけば、他人と食事をする際に余計な摩擦を生まずに済むし、評価を下げることはない。だからこそ、子どもに箸の持ち方を教える。
しかし「マナーが悪い」と「育ちが悪い」は、似ているようでまったく違う。
前者は本人の行動に対する批判だが、後者はその人が生まれ育った家庭や人格まで否定しているからだ。実際、箸を正しく持てない人が、他人への思いやりに欠けているわけではないし、逆に、箸を美しく持てる人が、必ずしも礼儀正しい人間であるとも限らない。
そもそも、人間は生まれる家庭を選ぶことができない。どのような親のもとで、どのような教育を受け、どのような生活習慣を身につけるかは、本人の意思とは無関係な部分も大きい。それを大人になってから本人の人格を否定する材料にするのはどうなのだろうか。
マナーは本来、人と人とが気持ちよく過ごすためにあるものだ。ところが、そのマナーを持ち出して他人の家庭環境を見下すのであれば、本末転倒な気がするのだ。
“行儀”が悪いのは誰?
今回の板野の食卓に話を戻せば、家族3人で鍋を囲み、夫が妻の料理に感謝を口にしている。そこに肉がパックのままあったとしても、いったい誰に迷惑をかけているのだろうか。
嫌いなタレントがいるからといって、何かないかあら探しをする行為の方が、個人的にはよほど“行儀”が悪いように感じる。
なにかと炎上しがちな板野だが、今回に限っては「その批判は違うでしょ」と思った人が少なかったようだ。当たり前だが、「堕とし活」をすると、自分自身にも異論反論が寄せられることもあるのだ。


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