「一緒にやらないかというオファーはいろいろなところから来ていて、全部断っていたんです。でも、金子さんはシンガポールから会いに来てくれて、話しているうちに、この人だったらやってみたいと思うようになりました。チームを大事にして、お客さんがどうしたら喜ぶかということを徹底的に考える姿勢が同じで、共感すると同時に、いい刺激ももらえました」
今後は、金子氏とともにさらに事業を広げていく構想もあるという。
「今日ここではじめて言うのですが、7年で50店舗を目指したいです」
そう話したあと、もう一つ、遠藤さんが実現したい夢を教えてくれた。
「もう少し直近の夢は、地元の宮城にお店を出すことです。出そうと思えば、もう出せるかもしれない。でも、せっかくならブランドとして大きくなってから出したいんです」
12歳のとき、震災後に移り住んだ仙台でクレープに元気をもらった遠藤さん。そこで出会ったクレープをきっかけに始まった道は、再び宮城へとつながろうとしている。
「自分が死んだあとも残る店に」
遠藤さんはスタッフに、よく「100年続くブランドをつくろう」と話しているという。
「自分が死んだあとも、クレープえんどうが残ったらいいなと思っていて。今4年目だから、あと96年ですね。長いですね(笑)。でも、本当に4年があっという間だったから、これからもあっという間に時間が経っていくんだろうなと思います」
取材後、筆者は大阪の3つの店舗を回り、それぞれの店でクレープを食べた。若いカップルも、1人で訪れる男性も、子どもを連れた女性たちもいた。その隣で子どもたちが宿題をしていた。
遠藤さんは「街の駄菓子屋のような存在になりたい」と話していた。店を訪れてみると、その言葉の意味がよくわかる。特別な日に出かける店というより、日常の中でちょっと気分を上げたいときに立ち寄れる場所なのだ。
街の駄菓子屋のように、地域に小さな幸せとつながりを増やしていくクレープ屋。読者の街へも、いつか現れるかもしれない。


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